ドリーム小説
カウントダウン 5
今日は目の前にイケメンはいなかった。
めざまし時計を消しながらゆっくりと起きあがりのびをする。
肩の違和感は少なくなり、足も簡単に動かしただけでは痛みを感じない。
そっと地面に足を着けて感触を確かめて立ち上がる、が、
ふら、と足元が不安定になる。
と、
「大丈夫か」
さらり、腰を掬われて、傾いていた姿勢が元に戻される。
見上げるまでもなく、いつの間にかそばに来ていた赤井さんの腕が腰に回されているのがわかって。
「まだ無理をするな」
ひょい、と相変わらず自然な動作でリビングへ連れて行かれた。
炬燵の定位置におろされて、そのまま待つように言われて。
そうして、目の前に持ってこられた朝ご飯。
大きなお皿にのるのは、パン。
ふわふわとした美味しそうなそれ。
間に挟まれているのは色とりどりの野菜たち。
しかしそれは、安室さんが昨日作ってくれたハムサンドのように食べやすく三角形になっているわけではなく。
スーパーで売っている4枚切りのパンにそのまま野菜を挟んだような感じの、四角形を保ったままのパンで。
でかい。
パンの耳もそのままなので、よけいに大きく見える。
「今日はサンドイッチを作ってみた」
そわそわと、どことなく嬉しそうに持ってこられたそれ。
食パン一袋どころか二袋くらい使ってそうな多さだ。
ことん、とその横に置かれたのはマグカップ。
中には並々とブラックのコーヒーが。
とりあえず、とばかりにそのままコーヒーに口を付けた、と
ふわり、口の中に広がるコーヒーの風味。
昨日の朝飲んだ物よりもどことなく美味しく感じて、赤井さんをみる。
見上げた先には柔らかく目を細める彼が居て
「昨日、安室君に教えてもらったからな。頑張っていれてみた」
ほめてほしい、そんな雰囲気を出してくる大人の男性が、どこか、かわいくて。
「___美味しいですよ、赤井さん」
少し笑いながら伝えた言葉にぱあっと表情が明るくなる。
ずるい、なぁ
格好良くて、いろんな事をスムーズにこなす、人なのに。
時々、こんな風にかわいくなったりして。
細まった緑の目が
微かにあがった口角が
柔らかく下がる目尻が
私の心臓のスピードを、早める
だめだよ。
彼は、一週間でお別れする人。
ただ、優しくしてくれてるのは、罪の意識から。
この人は私のことを何とも想っていないし___私も、この人のことを、なにも想っては、いけ、ない
間違えちゃだめ、だよ。
この人は、私じゃ手の届かない人
この人は、私なんかじゃ足かせにもなにも、なれない人だよ
私よりもずっと大きな掌が、大きなサンドイッチをつかむのを、ただ見つめた。
「赤井さん、今日少しレポートするために残るのでお迎えは大丈夫です」
その言葉に彼は大分渋ったけれど、ちょうどそばにいた工藤君がポアロまで一緒に帰ることを条件に許可をもらって。
「赤井さん過保護の度合いが増してきてねぇか?」
「結構はじめからあんな感じだったよ?」
赤井さんを見送りながら工藤君の言葉に返事をすれば、すごく何とも言えない微妙な顔を返された。
「すまん!!」
「はいはーい」
夕闇迫る時間帯。
工藤君とレポートを終えて、帰りだしていたその途中。
辺りに響いた叫び声に、名探偵が動かないはずはなく。
でも赤井さんとの約束を気にしてだろう。
いつもとは違い一歩足を踏み出して止まった彼の背中を優しく押した。
「名探偵さん、いってらっしゃい」
あなたにしか、できないことがあるでしょう?
ぐ、っと一度だけ拳を握りしめて、名探偵は走り出した。
去り際に響いた声にへらり、笑って手を振って。
さて、私がいっても足手まといなだけだから、とひょこり、足を進めた。
ひょこひょこ、遅い足取りで進んでいれば、後ろから聞こえてきた車の音。
空の色は闇色。
とうに太陽が沈んだ時間では、通常の音ですらひやりとするもので。
今できる精一杯で足を早めた。
横をすぎていく___と思われた車が、まさかのすぐそばで止まって。
微かな恐怖を感じながら、何事かとそちらをみる、と
「おひとりですか?お嬢さん」
昨日みたばかりのミルクティー色の髪
その色に映える褐色の肌
すこし低い目線は、車に乗っているから。
開けられた窓の中から、顔がいいイケメン___安室透さんがこちらを見て笑っていて
「よければ少しドライブしませんか?」
イケメンのそんなお誘い、断れる人が居るならば見てみたいものだ。
赤井さんの車とは違う、白い車。
手慣れた運転で、その車はスムーズに進んでいく。
どこに行くのか、という質問に、ポアロのお使いなんですよ、と安室さんは笑う。
最終目的地はポアロだと聞いたためそのまま素直に身を預けた。
「結局、さんの怪我をした経緯をきちんとは知らないのですが___お伺いしても?」
昨日説明をしたのは本当に簡単な結果だけで。
ちらり、安室さんを見れば、じいっとこちらを見てくる目。
丁度はかったように信号は赤。
そっと目をそらしながら答える。
「ええと・・・・・・歩道橋から落ちてきた赤井さんを思わず、掴んだ、ら、一緒に落ちちゃった、みたい、な・・・・・・」
「は?」
え、なんか今ものすごく低い声じゃなかったですか?
びくりとして安室さんを見れば、驚いたような表情をこちらに向けていて。
「まさかとは思いますが___赤井を支えようとした、と?」
あ、これ、この間の世良ちゃんの時と同じ感じする!!
「え、えへ」
すぅ、っと瞳が細くなる。
あ、こわい!!
笑ってごまかす作戦、まあ効くはずないですよね!
ゆっくりと安室さんの腕が伸びてくる。
思わず目をぎゅうとつむれば、一つ、溜息。
「さん」
ポン、と優しく撫でられて、ゆっくりと目を開ければ困ったような表情。
「いいですか?咄嗟に動いてしまったのは仕方がないですけれど____自分にできることの限界はしっかりと理解しておかないとだめですよ?___じゃないと、僕みたいに、」
僕みたいに、不自然にとぎれたその言葉。
その続きは、青になった信号に遮られて聞くことはできなかった。
一時、無言になる車内。
耐えきれないわけではなかったけれど、そういえば、と思いながら口にした話題。
「探偵の安室さんと赤井さんとはどういう関係なんですか?」
「___ただ追いかける相手が一緒だった、それだけですよ」
静かな声でもたらされた返事。
なんの感情も乗らないそれは、ただ淡々と車内に響く。
「赤井さんは、戦友、って言ってましたよ?」
「___戦友、ね」
そのつぶやきはひどく冷たく聞こえて。
思わずぽろりと言葉が漏れた。
「赤井さんのこと、嫌いなんですか?」
一瞬だけ車内の空気がぴりりとした、気が、した。
「好きに見えますか?」
好意も悪意も、なにも込められていないそれは、無関心という言葉がよく似合っていて。
好きに見えるかどうか。
そんな問い、答えなどとうにわかっている。
「見えないですねぇ」
出会ったのは昨日。
安室さんが赤井さんに向ける言葉は端々に棘が含まれていて。
言葉通りに受け取るならば、安室さんは赤井さんを好いてはいないとわかる。
けれど、けれども___
「でも、心の底から嫌っているようにも、見えなかったり、しますねぇ」
答えた言葉は安室さんのどこかに届いたのだろうか。
運転をする彼のまなざしはまっすぐに前を向いていて。
「どうして、そのように?」
「あえて___嫌いだと見せつけるようなこと、器用な安室さんには似合わないなぁ、だなんて」
昨日一日、みただけだけど。
イケメンで何でもそつなくこなすこの人が、あんなにも一人の相手に感情をあらげるのは、なんだか違和感しかなくて。
だからこそ、嫌いだと態度で見せつける何かが、必要なのかと、思ったり。
「それに、嫌いな人とわざわざ同じところで少しの間とはいえ、バイトしようだなんて、思わないんじゃないかなぁ、とも」
いくら、自分が昔バイトをしていて思い入れのある場所だったとしても。
必要がないのに、その場所で共に働くことを選択するものだろうか。
「___そうですねぇ」
少しだけ時間をあけて、安室さんは口を開いた。
その口調は先ほどよりも幾分か穏やかに聞こえて。
「___好きじゃないですけど___かつてよりもその感情はマシにはなったかもしれませんね」
”かつて”
それは私が知り得ないところで、私が知ってはいけないこと。
ただ静かに事を述べるように安室さんはつづけた。
「僕は赤井が大嫌いで、憎くて、姿を見るどころか声を聞くのも嫌で」
内容なんてものはわからない。
ただ表面を、感情をなぞるように、紡がれるそれら。
「原因はいろいろあったんですが___多分、元々純粋に僕と赤井があわないんです」
からり、笑う安室さんは、昨日と同じ、どこか感情を振り切ったようで。
「いろんな事があって、終わって、そこですべてを許せるほどあいつに対する感情は一筋縄では行かなくて」
話しながらも車を運転する動作はなめらかで、落ち着いて見える。
「相手を憎いという感情はずっと持っていると疲れるんです」
くるり、ハンドルを回して、どこかの駐車場に入った。
腕を助手席にやって、首を後ろに向けてバックする姿。
おおおおお・・・・・・イケメン!!
「あいつのために、これ以上疲れるのも、もういやだな、と、思いはしたんですが、もういいや、なんてなれなくて」
一回のバックですぐさま駐車スペースに止めた彼は、ゆっくりとエンジンを切った。
「ただ、久しぶりにあいつにあったときに___僕がまだ憎しみの感情を抱いていることに___あいつが、赤井がどこかほっとするのを見てしまって」
困ったように眉をひそめて、彼はこちらをみた
「同時に僕もあいつに怒りを、感情をぶつけることで、どこか感情を落ち着かせているような___そんな状態になってしまったみたいで」
困ったように___でも、どこか安心したような表情で。
昨日初めて出会ってから、今までみた中で、一番この人に似合う顔で安室透は、笑った。
「とらわれたままなんですよ、僕も、赤井も。困ったことに、ね」
許すことを良しとしない
許されることを望まない
そんなちぐはぐの感情に___
とらわれたままで
「だからこそ、赤井が、さんと関わることでなにかしら得ることがあるのならば___それはよい兆候だと、そう思っているんですよ?」
それでも、私はなにも知らなくて。
それでも、私はなにも知らないままでいなくてはいけなくて。
曖昧に笑うことでしか、答えられなかった
「ただいまもどりました」
「お帰りなさい安室さん!」
「おかえり、安室く___は?」
「・・・・・・ただいまで〜す」
からん、安室さんによって軽快な音を立てて開けられたポアロのドア。
元気なお出迎えの声を出す、梓さん。
それに続いて聞こえて来るであろう赤井さんの声は___入り口に担がれた私がいたことで遮られた。
担がれた、というと非常に語弊がある気がするので___言い方を変えると
右手に購入した大容量のアイスを持った安室さんはもう片方の手で私をこう、子供にするように片腕で抱え上げている。
私を腕に座らせるみたいな形で、片手だっこというか、これなんていうんですかね!!
小さな子供にする奴じゃないですかこれ!!
私!女性!一応成人女性なんです!!
これは恥ずかしい!!
しかしながら一通り暴れ済みのため、安室さんの手が放れないことも知っている。
なにこの人片手なのに、人間?本当に?すっごい力強いんですけど・・・・・・!
こうなった経緯はひどく簡単で。
車から降りた私が普通に目の前の段差に気づかず全力でこけたからだ。
咄嗟に手を突こうと動かした手が負傷した方の肩で対応が遅れて、いたい、と叫んだらこの有様です。
「ちゃん、今度はなにしたの?」
「梓さん、語弊を抱く言い方はやめてもらいたく・・・・・・」
私が何時も何かしている、何処か怪我をしている、みたいに聞こえるじゃないですか!
言いがかり甚だしい!
「安室君、なぜ共に行動しているかはこの際おいておこうと思うが___重いだろう、預かろう」
キッチンの中にいたはずの赤井さんがいつの間にか目の前に。
重いってなんですか、重いって!
赤井さん私だって女の子!傷つきますよ・・・・・・
す、と差し出された手に、安室さんが笑って答えた。
「大丈夫です。鍛えてますから、これくらいで重いだなんて・・・・・・」
安室さん、それなにげに失礼だって気づいてます?
じとりとした目で安室さんを見れば、こちらの視線に気づいた彼は朗らかに笑った。
「天使の羽のように軽いから大丈夫ですよ」
「安室さん、嘘っぽい」
「そうですか?本音なんですけど」
その笑顔が、嘘っぽいと言うのに
「むしろ重いって言ってもらった方が、あきらめがつきます」
「では正直に。重いですけど、女性の平均体重くらいでしょう?健康な証ですね!」
「安室さんんんんん!!そういうはっきりはいらないです!!」
端からみれば、コントのようなやりとりじゃないだろうか。
ぽんぽんと帰ってくる返事が愉しくて調子にのって話し続けた自覚はある。
不意に腕が、ひかれた。
何事かと思う間もなく、体は傾き、新たな温もりに触れて。
「わ」
小さく漏れた声。
けれどその温もりはしっかりと私を抱きしめてくれて。
「おい、赤井」
安室さんの低い声。
怒っている、というよりもあきれている、というような。
安室さんとは違う、安心する香り。
見慣れたポアロのエプロンが、どこかちぐはぐで。
見上げた先の緑色の瞳がくるり、瞬いて私を映す。
ゆっくりと足が地面に着いたことにほっとしながらも、その緑に捕らわれたままで
「新一君はどうした?」
少しだけ眉をひそめて不機嫌そうな表情。
ああ、そういえば工藤君と共にポアロに来ると、そう伝えていたような、気が・・・・・・?
「工藤君は、探偵ですから」
その言葉にすべてをわかったように、赤井さんはため息をついて、でもその表情はどこか嬉しげで。
「相変わらずなんだね、新一君は」
安室さんもそうつぶやいて、誇らしげにその頬に笑みを浮かべた。
ああ、工藤君はとても愛されているのだなぁ、と我が友人ながら誇らしく思い。
同時に、こんなにも想われる工藤君はずるいなぁ、だなんてすごく馬鹿みたいな事を思った。
本日の勤務を終えて、朗らかな梓さんと片付けの邪魔だからさっさと帰れと言外で告げてくる安室さんに見送られてポアロを後にする。
いつもであれば、そのまま家に向かうのだけれども___今日は違って。
「少しだけ、車を走らせてもかまわないか?」
助手席に乗ってしばらくたったとき、そう聞かれて。
断る必要性もないのでもちろん、と頷いた。
特に会話があるわけではない車内。
けれど、居心地が悪い訳じゃなくて。
赤井さんが吸う煙草の香りが程良く染み着いたそこは、完璧な”赤井秀一”の空間なのだと思い知らされて。
それに気づいた瞬間、心臓がどくりと、音を立てた。
何度も乗せてもらっているというのに、彼の空間に存在することを許されているという事を改めて感じて。
心臓の中、感情が暴れ出しそうになるのをぎゅう、とこらえる。
落ち着け、落ち着け
視線を窓の外に向けて、必死に言い聞かせて自分を鎮める。
「なにを今更緊張しているんだ?」
心の底から不思議だと、そう思っているような質問。
一度、二度、息を吸って、はいて、答える
「赤井さんが、大人の男の人すぎて、どきどきしちゃうんですよ」
嘘じゃない。
でも、赤井さんだからこそ、とは言えるはずがなくて。
困ったように告げれば、くつりと笑い声。
子供に対するように、彼は笑うから。
わかっていたけれど、わかっているけれど、やっぱりこの人にとって私はそんな対象じゃないのだなぁ、と思えて。
すとん、と感情が、落ち着いた。
私がこの人を想うことがあっても、この人が私を想うことがないのだと。
そう思うと、なんだかむしろほっとしてしまって。
「ねえ、赤井さん、赤井さんのこと聞きたいっていったら教えてくれますか?」
彼のベクトルがこちらに向かないのであれば___彼に想われることなど、ないのであれば。
もう好きに動けばいいか。
そう思えてきて。
「内容にもよるがな」
煙草の煙を吐き出しながら、赤井さんはそう答えてくれるから。
「たとえば、世良ちゃんのこととか、家族のこととか___あー・・・・・・でも、なんでもいいや、赤井さんが話してくれるんだったら」
私の言葉に彼は
一度二度、瞳を瞬かせて___柔らかくその緑の瞳をゆるめると、穏やかな口調でいろんな話を教えてくれた。
彼お手製の晩ご飯を食べて___今日はおでんでした。
手当をしてもらって、おやすみなさい、と挨拶を交わして。
ゆるやかに眠った、はずだったのに。
夜中にぽかりと目が覚めた。
ぐるり、回した視線の先、リビングの明かりがほのかに見えて。
まだ起きているのかな、とゆっくりと足を進める。
からん
かすかに響いた音は、なんの音か。
わからないままのぞき込んだリビング。
「眠れないのか?」
のぞいていたのは簡単にばれていたようで。
半分だけみえた緑色に、惹かれるように足を踏み出した。
「お酒・・・・・・?」
からん、とまた音を立てたそれは、炬燵の机の上。
グラスに入っているのは氷と茶色い液体。
その横には琥珀色の液体がたっぷりとはいった瓶が
ゆっくりと近づいていった私を招くように、彼は自分のすぐ近くの炬燵布団をめくりあげて。
一人暮らし用の炬燵など小さいものだというのに、なぜか同じ一辺に入るように促される。
少々、どころか大分狭いその場所にゆっくりと入り込めば、寒さを感じたのか、赤井さんがすり寄ってきて。
「お酒、すきなんですか?」
猫のような赤井さんをそのままに、問いかければ、彼の長い手が机の上に伸びる。
からん、音を立ててそのグラスをこちらに渡してきた。
「酒は飲むのか?」
好きとも嫌いとも返事はなく、逆に問い返された。
からり、音が鳴るそれを受け取って見れば、緑の瞳がこちらを見ていて。
「の、めなくは、ないですけど・・・・・・あまり強くないですよ」
私の言葉にそうか、とうなずきながら、飲んで見ろと促されて。
ぐ、とのどに流し込めば体中に熱が上がる。
かっとなる喉、あわててグラスから口を離した私をくつくつと笑いながら見つめる赤井さん。
ぽかぽかと一気に体の熱があがった。
「好きか、嫌いかで聞かれれば、好きなんだろうな」
私からグラスを受け取った赤井さんはその液体をく、と喉に流し込む。
間接キスだなぁ、なんて、どうでもいいことを回らない頭で考える。
喉が飲み下す度に上下する様は、ひどく艶やかで。
ただ無言でそれを眺めて。
その喉元にゆっくりと手を伸ばせば、簡単に自分よりも大きな手につなぎ止められる。
前も思ったけれど、この人、反応早いよなぁ、と思いながら触れられた手にすりよった。
「赤井さん、ほかになにがすきですか」
ぽかぽかした気分のまま聞けば、少し考えるように赤井さんは視界をぐるりとまわして。
最後にちらり、こちらをみた。
「当てて見ろ」
「あてたら、ご褒美くださいね」
くつくつと笑いながら言われたから、そう言い返して思考する。
ぼんやりとした頭で思い起こすのは、この数日間のこと
「みためと違って、赤井さんはあまいのすきですよね」
もきゅもきゅとポアロでその口に甘い物を詰め込んでいたのを思い出す。
その頬が幸せそうにゆるんでいたのも。
「たべるっていうことも、つくるのも、あんまりきらいじゃない」
私に作ってくれながらすごい量をその体にいれて。
私に作ることをどこか楽しそうにしてみせて。
それはどう見ても料理が嫌いな人の態度じゃない。
「それから、せらちゃんとか、かぞくも」
今日、車の中、話してくれた家族の話はとても楽しそうで。
ああ、大事に思っているんだなぁ、と感じるには十分で。
彼の口からもたらされる話はとても楽しくて、おもしろくて。
それから、それから
浮かぶ言葉をぽろぽろとこぼしていけば、赤井さんは静かにそれらに頷いてくれる。
それがなんだか嬉しくて、さらにいろいろと思い起こす。
コーヒーに車、ドライブも好きで、今日お酒が好きなのも知った。
それから___
「くどうくんのことも」
あの日、学校で工藤君をみて、とても穏やかな表情を浮かべた。
あのときから、きっと私が工藤君の友人だとわかったときから、この人はより一層私に優しくなったように、思う。
そして___
「あむろさんのことも、だいすきですよね」
からり、傾けられていたお酒が動きを止めた。
すり寄っていた手から距離をとって、まっすぐにその緑を見つめて。
「・・・・・・んー、大好き、だとなんかちがう・・・・・・きらいじゃない、はあむろさんのことばだし・・・・・・」
「___安室君が俺のことを?嫌いじゃない、と?」
私の言葉を拾ってぱちくりと瞬く様子がどこかかわいくて、へらり、笑う。
思い起こす昼間の会話。
「んー、そう、きらいじゃないよ。って。でも、ずっととららわれたまんまなんだって」
柔らかくほほえみながら、どことなく困ったように。
「私は、ふたりのかんけいを、しらないし。しることもないって、わかってる」
今までも、これから先も、私が踏み込んではいけない領域で。
今までも、これから先も、手を出すことは許されない世界で。
「___俺が原因の一端を担って、彼の友人を失ったんだ」
うつむいた赤井さんがぽつりと言葉を落とした。
空虚な感情は、あえて表に出さないように。
幾重にもかけられた鍵は、頑丈に閉じられたまま。
「あかいさんもおなじくらいきずついた?」
原因になった、そういう言い方をするってことは、あなたはその彼を憎からず思っていたってことで。
あなたもその消失感に苛まれたのでしょう?
「彼の感情に比べればそれは」
「くらべちゃだめだよ。くらべるなんて、いみがない。そのかんじょうは、そのひとだけのものでしょう?」
そのいたみは、そのひとだけのものだ。
どんなに痛いかも、わかるのはその人だけ。
それが人よりも痛いかどうかなんて、比べるだなんて。
そのつらさを肩代わりなんて、できないし、不可能だ。
辛さを共に背負うことはできても、その辛さを丸ごと受け入れる事なんて、神様でもないと無理に決まっている。
辛さに寄り添うことはできても、それ以上は誰にだってできないもの。
「それでも、彼の感情を受け入れることで彼が___」
ねえ、赤井さん、きいて
「にくむことで、じぶんをたもって。にくまれることで、じぶんのへいおんを、まもってるって、あむろさんはそういったの」
ぺしゃり、その頬に手を伸ばして両手で挟み込んだ。
「あかいさんがにくまれることをのぞむかぎり、あのひとはにくみつづけることしかできない」
くるり、緑の輝きが瞬く。
「あのひとがにくみつづけるかぎり、あかいさんはにくまれつづけなければならない」
ぐ、と引き寄せればどこか弱々しい表情。
いつもの赤井さんらしくなくて、思わず笑いそうになる。
「きらいなひとを、きらいなままでいるのはらくだよね」
怒ることでエネルギーを使って。
そうやって自分の平穏を保って。
「にくまれている、ってつみのいしきをもちつづけるのは、にげてるのといっしょ」
全部自分が悪いと思いこんで。
全部背負った気になって。
「あかいさんはあむろさんにとらわれていて、あむろさんをとらえているのは、あかいさんじしんだよ」
安室さんが、赤井さんを憎むのは、赤井さんのため
赤井さんが許さないで居てほしいと言うことに、気づいてるんだよ、あの人
私を使って赤井さんをからかおうと思ったのも、きっかけを求めてだよ
そして、赤井さんを憎むことで安室さん自身も___
赤井さんからの言葉が怖くて、彼がもっていたグラスを奪い取ると残っていた琥珀色の液体をぐい、っと流し込んだ。
一気に熱くなる喉と体。
同時にぐるぐると回る世界。
傾いていく視界。
止めてくれたのは大きな手。
「わたしじゃ、やくぶそくってしってる」
なにもできない、なにもしらないこどもだから
「それでも、ねがわずにはいられない」
おおきななにかをかかえるあなただからこそ
「あなたとともに、ありたい、って」
ただ、分かち合える存在でありたい
この人が、つらいと思ったとき、一人でいたくないと、そう思ったときに。
そばにいてもいいと、そばにいてほしいと、そうおもってもらえるそんざいになれたら
それは、どんなに幸せだろう
もちろん、この人に傷ついてほしくはない
もちろん、この人に悲しい思いをしてほしくはない
だけど、万が一そんなことが起こったときに___私を求めてもらえたら。
「そうおもわれる、そんざいに___なりたい___」
「___」
ぼんやり、眠る間際、何かが聞こえた気がするけれど。
頭を撫でる温もりに身をゆだねれば、すべて記憶の中に消えていった。
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