ドリーム小説
カウントダウン 2
咄嗟に私を抱きしめたその腕の強さも、
私を瞳に映した瞬間にゆるんだ緑も
心から安心したとばかりに息を吐いたのも
全部、ぜんぶ、錯覚だと思わせて欲しいのに
浅ましい私は期待ばかりしてしまって。
でも___
___今度は、助けられた___
あの言葉を聞いて、期待したままでいられるほど愚かでいるつもりもなくて。
誰がいるの?
その心に
___違う、いないわけがない、あんなすてきな人の心に
私が嫌なのは、耐えられないのは、その人のかわりになること?
___そうじゃない、かわりでもあの人の側にいられれば幸せなんて馬鹿みたいなこと考えている。
そうじゃ、なくて___そうじゃ、ない。
誰かがあの人の側にいて、あの人を幸せにしてくれれば、だなんて、かっこいいことを思いながら、
その側にいる人物がわたしであればだなんて、思わずにはいられなくて
あの優しさはきっと、私だけじゃなくていろんな人に平等に分け与えられるもの、だから。
私は特別じゃない、のに。
勝手に期待して、勝手に落胆して、勝手にから回って。
正面から好きだっていう勇気もないくせに。
なのに好きじゃない、だなんていうこともできない。
ぐるぐる巡る取り留めのない思考では、なにを考えても、なにを思ってもマイナスにしかならなくて。
あの場所からタクシーを捕まえて家に帰って。
しっかり鍵もかけて誰にも入れないようにして、眠ったというのに。
目が覚めた先。
昨日と変わらない寝室。
けれど洗濯物は少しだけよれた状態で干されていて。
机の上には大量のホットケーキと大きなマグカップになみなみと注がれたコーヒー
冷蔵庫の中にヨーグルトが入っているという書き置き、その下にポアロのバイトに行くという言葉。
今日は授業がないだろう、ゆっくり休め。
そう言い添えられたら、もう、だめだった。
ぼたぼたと壊れた涙腺。
落ちるそれは机の上に染みを作る。
昨日馬鹿みたいに自分勝手な理由で突き放したあの人なのに、まだこの家に来てくれたこと、こうやって準備をしてくれたこと、嬉しくて、同時に適わないくらいに悔しくて。
ぐい、と涙をぬぐい取って、冷蔵庫からヨーグルトをだす。
机に並べていつものように朝ご飯の体勢をとる。
誰も座らない前が、寂しくて。
私一人で___食べられるくらいの量しか作られていないことに、気づく。
気づいていたんだ。
私がどれくらい食べるのか、とか。
それなのに、知らないふりして。
いつだって、私をちゃんと見ててくれるのに、知らないふりをして。
「赤井さんのばか」
一緒に食べなければ、一人の寂しさなんて知らなかったのに。
一人分の食事を、少ないなんて思うことなんてなかったのに。
じわり、滲みそうになった視界をあわててクリアにして、一口だけかじったホットケーキにラップした。
ちかり、スマホがメールの受信を伝えてきて。
しぼんだ気分のまま開ければ、そこにあったのは哀ちゃんの名前。
___今日13時30分、ポアロで会いましょう___
メールにはそう書いてあった。
ちらり、中を覗いてみたけれど、探していた人物の姿は見えず。
どうしようか、とドアの前で立ちすくむ。
___お昼どきを少しすぎたこの時間___なぜかいつもよりも女性客が多いように思えるのは___気のせいだろうか?
ちらり、再度のぞいても、哀ちゃんさんの姿は見えなくて、どうしようかと思案する。
と、
「いらっしゃいませ、さん」
考えている時間などいらない、とばかりににっこり笑いながら扉を開けてきたのはいつの間に目の前にきたのか、安室さんで。
ぐいぐいと腰に手を当てられて中に入るのを手伝われればできることなどなにもなく。
レジのすぐそば、二つあいているカウンター席に案内された。
ぐるり、少しだけ視線を動かしてみたけれど、目的の姿は見えず。
「赤井なら、今買い出し中ですよ」
「あ、いえ、赤井さんじゃなくて___」
安室さんの言葉にあわてて首を振って。
本来の目的を告げようとすれば、からん、開いた扉。
「ごめんなさい、待たせたかしら?」
「大丈夫だよ、哀ちゃん。私も今来たところなの」
答えれば満足そうに頷いて、哀ちゃんは私の横に腰掛けた。
「さん、コーヒーは好き?」
「え、うん。人並みには」
「じゃ、安室さん、コーヒーを二つ、お願いできるかしら?」
さらり、慣れたように注文をすます哀ちゃん。
カウンターにひじを突く様子はひどく大人びて。
え、この子本当に小学生だよね?めっちゃスムーズなんだけど。
「まずは___昨日は本当にありがとう」
柔らかな視線がこちらに向けられる。
真っ直ぐに見つめ返せば、ふわり、ほころぶ笑み。
「あなたにかけたら、工藤君か、赤井さんか、どちらかには伝わるかと思ったの」
やっぱり私を通じて二人を、どちらかを、呼びたかったようで。
「巻き込んでしまうかたちになって___申し訳なく思ってるわ」
少しだけしょんぼりとしてみせるからいたたまれなく、なって。
そっとその頬にふれて顔をあげるように促す。
そうすればきれいな瞳がこちらを見てくる。
「私は哀ちゃんが頼ってくれた、ってだけで、嬉しい」
こつん、と額同士を重ね合わせて、至近距離でその瞳を眺める。
ぱちくりと瞬く瞳を見つめて、笑う。
「私こそ、ごめんね?あまり力になれなくて」
ごめんなさい、役に立てなくて。
ごめんなさい、力が無くて。
ごめんなさい、あなたに、醜い嫉妬を抱いた
「最後、守ってくれたの___すごく、嬉しかったわ」
ふれていた手が、小さな温もりにつつまれて。
少しだけ赤らんだ顔で、頬をゆるめる姿はかわいい以外、いえない。
「お待たせしました」
ことん、カウンターにおかれたのは二つのコーヒーカップ。
注がれた液体は、黒。
そのそばにおかれたのは生クリームたっぷりのショートケーキ。
相対するその色は当然とばかりにその場所に鎮座して。
「お疲れな二人に、サービスです」
「あら、気が利くのね」
他の人には内緒ですよ、そういいながらウィンクをしてくる安室さん。
店内で黄色い声が挙がった気がするのはきっと気のせい!
梓さんがキッチンの奥でほくほくとした表情で飲み物を入れてる
___梓さん、これがイケメン効果ですか・・・・・・!
「___昨日のことは___内密にお願いしますね」
耳元でささやかれたそれ。
非常にいい声だったそれにぞわりとしながらも頷けば、ふわりとしたいい笑顔が帰ってきた。
え、まって本当にイケメンですね!
ぶわり、顔にあがった熱をさますために、ゆっくりとコーヒーに口をつける。
ふわりと香るコーヒーの香り、咥内をくすぐる風味はやっぱり美味しくて。
今朝一口つけただけのコーヒーを思い起こす。
「___コーヒーってコレくらいの量が一番ですよね・・・・・・」
「・・・・・・普通じゃないですか?このくらいの量」
私のつぶやいた声に反応したのは安室さん。
不思議そうに瞬いた瞳に、へらり、笑って答える。
「赤井さんが作ってくれるコーヒーはマグカップにたっぷりなんで、これの3倍くらいあります」
「だからあいつは、あんなにも、量を考えろ、と・・・・・・!」
だん、っと拳がカウンターに叩きつけられる音。
ぐしゃり前髪をかき回して不満そうに吐き捨てる。
からからと笑いながら哀ちゃんを見れば、じいっと視線が返されて。
「毎日赤井さんがマグカップにたくさんのコーヒーを作ってくれるんだけど___今日は残しちゃった」
その視線をそらすようにへらへらと笑ってみせれば、ため息をついた彼女は机の上にスマホをおいて、ぺちん、と小さな手に口を押さえられた。
「ばかね、笑いたくないのに笑わなくていいの」
優しい諭しかたはとても暖かくて、すとん、と表情が抜け落ちた。
「ねえ、哀ちゃん」
自分よりも年下の子に、こんなことを聞くなんて。
どうしようもないと思うけれど。
「___今度は、助けられた___って、赤井さんが言ったの」
じわり、滲んだ世界の向こう、哀ちゃんが目を大きく見開いて。
カウンターからこちらを見ていた安室さんも大きくため息をはいた。
「ほんっと、あの人ってタイミングもなにもかも悪い人ね・・・・・・!」
「あんの馬鹿」
気を抜いたらぼろっとこぼれそうになる滴をこらえながらじぃっと哀ちゃんをみる。
そうすれば、哀ちゃんは鞄から取り出したハンカチで優しく目元をふいてくれて
「あの人ね、私のお姉ちゃんの元彼なの」
世間話をするように、それこそ話された言葉。
哀ちゃんのお姉さんの”元”彼氏さん。
「そして___私が連れて行かれた倉庫によく似た場所で、お姉ちゃんは死んだの」
適わない。
適うはずがない。
赤井さんの中には、今も彼女が生き続けているのでしょう??
”過去”にはならずに、
今も、なお。
”助けられなかった”のは哀ちゃんのお姉さんで
”助けたかった”のは私ではなくて
ぼろり、こぼれた滴をただ、優しく哀ちゃんは拭ってくれる。
「お姉ちゃんが死んだ原因は___詳しくは話せないけれど、あの人のせいでもあって」
私が哀ちゃんの名前を出したとき、ひどく驚いていたのも。
哀ちゃんのことをいつだって心配していたのも。
「___お姉ちゃんが残した私を守ることで、罪滅ぼしをしようとしてる愚かな人よ」
赤井さんにとって、哀ちゃんは守るべき相手で。
守らなければいけない存在で。
そこに、私の介入はあってはならないことで。
「さん。泣かないで」
横から延びてきた褐色の手のひらが優しく頭を撫でる。
「あの馬鹿は愚かでどうしようもない奴だけど___それでも、君と彼女を混同しては、いない」
安室さんの言葉の意味を計りかねて彼をみる。
そうすれば困ったような笑み。
なんだか私はこの人のこういう顔をよく見る気がする。
「さんはさんだと、ちゃんと理解している」
「そう、間違えないで」
哀ちゃんの穏やかな声が今度はしっかりと耳まで届いた。
「私がお姉ちゃんから聞くあの人の話はいつも格好良くて、あなたの言う赤井さんとは別人みたいだったわ」
格好いい赤井さん。
それは私の知っている赤井さんと同じ人のはずなのに、どこか、賛同しにくくて。
「私が知っている赤井さんは、甘いものは好まないし、料理だって食べれたらなんでもよくて」
それは私が知っている赤井さんとはどこか異なる印象で。
「あなたの前では格好つけない、ありのままの赤井さんなのよ」
ありのままの、彼。
「___赤井さんは、お姉ちゃんには見せなかったところをあなたに見せてるの」
私にだけ見せてくれるそのすがた。
「それじゃ、だめかしら?」
だめなわけが、ない
ぼろり、こぼれた滴のある顔で彼女に笑い返す。
きっととてつもなく情けない顔になってるんだろうね、私は。
「言っとくけどね、私のお姉ちゃんはさんよりずっときれいよ」
「___あれ、私落とされてる?」
「それにとても賢いの」
自慢げに胸を張って伝えてくれる哀ちゃんはとてもかわいい
私よりもずっときれいで賢い彼女。
でも彼女ですらみれなかった一面を、私に見せてくれているという事実。
「さんとなんて、似ても似つかない」
似てないっていわれるのがこれほどうれしいとは思わなかった。
赤井さんの中にずっと残っている彼女と、似ても似つかないと。
「だから、同一視なんて、されてないわ」
私は、私だと理解されている。
それだけで、感情が、凪いだ。
昨日から今日にかけて、あんなにぐるぐると考えていたのが馬鹿みたいに思えるくらい。
___適わない
ああ、違う。
そうじゃ、ない。
適わなくていいの、適わなくても、いい。
哀ちゃんのお姉さんだもの、すてきな人に決まってる。
勝てるわけがない?
ちがう、勝つ必要なんてない
だって、だって___
「哀ちゃん、わたしね___」
ゆっくりと私の言葉に耳を傾けてくれる哀ちゃんの髪に優しく触れて、なでた。
「あの人が異性を思い出すときに、10番目くらいまでに思い出してくれるような、そんな存在になりたいの」
「目標が低い」
「10人って、あなた結構甘いのね」
安室さんの渋い声。
哀ちゃんのあきれた口調。
そんな二人にへらりと笑う。
一番になりたい
それはきっと自然なことだけれども。
あの人が私を思いだしてくれるなら、それだけでいいな、って思えて。
いたずらそうに笑ってみせれば、ぺちん、額を軽く叩かれた。
このお話はここでおしまい、とばかりの合図にぎゅう、と哀ちゃんを抱きしめようとして___逃げられた、ひどい。
「ところで___さんのところに住んでたの?赤井さん」
ぺし、と伸ばした手をはねのけられてしょんぼりとしていれば、私に向けられた哀ちゃんの質問。
安室さんもこちらに視線を向けてきて。
「そういえば、昨日ひどく気になる言葉を言っていましたね。詳しくお伺いしても?」
にっこりと笑顔で聞いてきた。
笑っているけどそこはかとなく怖い!
あ、はい、もちろん伝えますともー!
「その___病院に連れて行ってもらった後___なんか普通に家に入ってきて___気づいたら、1週間よろしく、と言われまして・・・・・・」
ぴしり、哀ちゃんの動きが止まった。
「___なんの準備もなしに?」
「ええと、私の家にくるまでにコンビニによって、いろいろ買ってたのでおかしいなぁ、とは思ったんだけど」
気づいたらメンズ用の細々としたものとか買ってたからおかしいなぁとは思った。
思っただけなんだけど。
「・・・・・・はじめは私も拒否ったんですよ?わたしの家で寝起きするって聞いて・・・・・・でも気づいたらなんか___居座ってました」
そうある意味気づいたら、だ。
抵抗したのは一日目だけ。
中々に快適な生活に2日目からは甘んじてそれを受け入れるようになって。
「さん、前から思ってたけど、危機管理能力が低すぎるわ」
ぐぐい、と哀ちゃんが少し怒った表情でこちらに顔を近づける。
かわいいお顔が目前だ、照れる!
「ほぼ初対面の男に家の場所を教えること自体間違ってますからね?わかってますか?」
安室さんは笑顔のままで言い募る。
め、っとばかりに人差し指をたてて、もう片方の手は腰に。
かわいいですね!!ムカつくくらいに似合いますね!
ところで安室さんって何歳なんですか!?
「まさかとは思うけど、一緒の部屋で寝てたりしないわよね?」
「あー・・・・・・炬燵で寝落ちしたら一緒にベッドで寝てたことはあります」
ごまかすにもじとりとした瞳に見つめられればどうしようもなくて。
そっと目をそらすしかできない。
と、
がしり、
頭を、つかまれた。
そのままぐぐぐ、と強制的に顔の位置を動かされて。
「さんの危機管理能力ぽんこつなんですか?」
目の前至近距離からの笑顔の安室さんはある意味凶器だと思います!
あと内容的にもひどい!
はあ、とため息。
発信源は哀ちゃんで。
顔をつかまれたまま、目だけで哀ちゃんに助けを求める。
ショートケーキにフォークを入れた哀ちゃんは一口口に運んでおいしそうに頬をゆるめた。
「___嫌じゃ、なかったのよね?」
嫌なことじゃなかったのか。
それに対しては、違うと胸を張って答えられる。
あの人と共に過ごした数日はかつてないほど光り輝いていたから。
「途中から___いることが、当たり前みたいに、感じちゃって___」
ああやっぱり、そんな表情で二人がため息をついた。
「___好きなのね」
「___好きなんですね」
まさに胃口同音。
同じ言葉が二人からもたらされた。
ようやっと離れてくれた安室さんと哀ちゃんが真っ直ぐにこちらを見ていて。
ぶわっと上がる熱。
先ほどまでの会話から、ばれているのはわかっていたけれど。
改めて聞かれるとだめだはずかしい。
さっきからずっと思ってたんですが___
そんな前置きと共にもたらされる言葉。
「あれがいいんですか?」
「あれでいいのかしら?」
二人で顔を見合わせて、首を傾けて。
可愛らしい女の子とイケメンな男性がそう言う仕草すると非常に似合いますね!
「さんには赤井よりももっといい人がいると思いますけど」
「赤井さんにさんはもったいないと思うわ」
だって___そう言いながらもたらされる赤井さんの情報。
長髪だったときがあった、とか。
なにそれ見てみたい。
ゴーイングマイウェイで人の話を切かずに動くとか。
大丈夫です、身に染みて知ってます。
それだけじゃなく、いっぱい、たくさん。
知っているものも、知らないものも、彼らの口から聞く赤井さんの情報は新鮮で。
「___そうですね、さん、赤井さんじゃなくて、僕にしておきませんか?」
突然、ぐ、とカウンターから身を乗り出して、安室さんに聞かれた。
店内に響く黄色い声。
褐色の肌が頬にふれて、柔らかく輪郭をなぞる。
イケメンにそんなことをされて、心臓がどきどきしないわけがない。
けれども___
「安室さんみたいなイケメンにそう言ってもらえるなんて、冗談だとしても光栄ですね___」
にっこりと笑ってその手をするりと手でつかむ。
穏やかに安室さんは目を細めて。
「きっと安室さんに想われたら幸福だろうなぁ、とは思いますけど、どう見ても私を想ってくれない相手の手を取るなんてことできない臆病者なんです」
見返りなんかいらない、だなんていえるほど大人な精神じゃない。
「それに___私じゃ、安室さんにつりあえないし、私は安室さんの抱えているものを背負う覚悟はないです」
私が共に背負いたいと思うのも、私が共に歩みたいと思うのも、目の前の彼ではなく。
たった一人。
「ふふ、ふられちゃいましたね」
つかんでいた手が、引かれて。
ちゅう、と軽いリップ音と共に手の甲にふれた湿った感覚。
と、
「」
ぞわりと、した。
ここ一週間で聞き慣れた低く腰に響く声。
同時に背中が温もりにつつまれて、つかんでいた安室さんの手はするり、ほどかれて、かわりに異なる温もりにつつまれた。
なんで、こんなタイミングで
今まで私を呼んでくれることなんて、なかったのに
「家でおとなしくしていろと、書いたつもりだったが?」
読まなかったのか?
言外に責めるような言葉。
けれど、彼の温もりが、ここにあるっていうだけで、なんかもうだめで。
いろいろと不意打ちすぎる、ずるい
溢れそうになる感情を、こらえるために顔を覆って。
そうすれば姿が見えない分より一層強く後ろの赤井さんの存在を感じてしまうわけで。
「赤井、今日はもう良いから帰れ」
どうしよう、ぐるぐるする思考回路の中響いた安室さんの声。
「その状態のさんをつれてかえってやれ」
あわてて顔を上げて大丈夫だと主張しようと口を開いた、が
「ふむ、恩にきる。帰る準備をしてくるから、少し待っててくれ」
大丈夫、一人で帰れる。
そんな強がり通じない相手だって、知ってはいるけれど。
きれいにここまでスルーされるとは思わなかった。
「さん、ケーキ食べないのかしら?」
奥に入っていく赤井さんを呆然と見送っていれば哀ちゃんからそんな言葉をかけられて。
「食べ、る」
もぐもぐと反射的にケーキを口に運んだ。
え、なにこれ、おいしい・・・・・・
ちらり、カウンターの中を見れば、安室さんと目があって。
「おいしいです・・・・・・」
「それはよかったです」
にっこりと返事。
へらり、笑い返せば、あ、と安室さんが声を発して
「そう言えば、知ってますか?さん」
「なにがですか?」
そっと耳を近づければ、褐色の素敵な顔がこちらに近づいてきて。
「赤井のことなんですが___あいつ、腰を痛めてると思います。おそらく1週間前くらいじゃないですかね」
1週間前
腰を痛めている赤井さん
それがどういう意味か分からないほど馬鹿じゃない。
「あのひと、怪我してない、って言った、のに!」
ぶわり、湧き上がりそうになった怒りを拳を握ることで、こらえる。
代わりに机の上のコーヒーをおいしいケーキを口に詰め込んで。
「ね、やっぱり僕にしときませんか?」
くすくすと笑いながら聞いてくるものだから。
「今、めっちゃ、揺れてます!」
もぐもぐと口を動かしながら答える。
「ああ、それともう一つ」
「頼まれてアクアパッツァを作ってみたんですが、味見、してみてくれませんか?」
先ほどとは似ても似つかない話題に、思わず口が止まった。
アクアパッツァ、それはこの間沖矢さんに頼んでみて___あっさりと否定された奴で。
それを食べてみたい、という意思は未だ消えることなく。
「たべた「悪いが安室君、彼女には俺が先に作ると決めているんでね___君のを先に食べてしまってはハードルがあがりすぎる」
全力で立ち上がって、挙手をしながら声を上げたというのに。
その手を取られて、腰を捕われてしまえば、動くこともできず。
「哀、これで足りるだろう」
机の上に置かれたのは5000円札。
にっこりと笑って受け取ったのは哀ちゃんで。
私が払う、という意見など、完璧にスルーだ。
どうかと思う!
「またせたな。帰ろう」
そういうと赤井さんはいつものように簡単に私を抱え上げて。
つまり、店内のお客様の視線を独り占めするわけで!!
痛い!視線が痛い!赤井さんおろして!!
「赤井さん!腰、痛めてるって、聞いた!」
「___安室君か」
ばしばしと腕を叩くがまったくもって揺らがない。
赤井さんはため息と同時にカウンターで笑う安室さんにちらりと目をやって
「言うな、だなんて言われてませんからね」
にっこり笑顔を返してくる安室さん。
……大物だなぁ!
「___ではな、哀、安室君」
ひらり、後ろ手に手を振って、赤井さんは入口へと足を進めていく。
抱えられたままの私からは赤井さんの後ろがよく見えるわけで。
あ、痛い、お客さんの綺麗なお姉さん方からの視線が痛い。
と、
「赤井さん」
こちらを向かずコーヒーを一口口に含んだ哀ちゃんが言葉を発した。
哀ちゃんの声に、赤井さんは足を止めて。
「私、これから先もずっと、あなたを許すことはないわ」
「___わかっている」
静かな声は赤井さんの耳にしっかりと届く
「お姉ちゃんを忘れるなんてこと、許さない」
「___忘れることなんて、できるはずがない」
先ほど聞いた話。
哀ちゃんの、お姉さんの、話
「それでも___お姉ちゃんを理由にするのはもっと許せないの」
静かにコーヒーカップを置いた彼女がゆっくりとこちらを見た。
否、赤井さんの背中を睨みつけるように見つめた。
「もし、これから先、お姉ちゃんを理由に、誰かを不幸せにするつもりなら___覚悟しなさい」
「___肝に銘じておこう」
その言葉を聞いた哀ちゃんは、ふ、と頬をほころばせて。
間に挟まれてどうしようかときょろきょろしていた私は安室さんと目があって。
そうすれば、彼は、とてもまぶしいものを見るように、目を細めた。
いつものように助手席に乗せられて
いつものように部屋にはいって
いつもとは違って、そのまま寝室に運ばれた。
そっと降ろされたベッドの上。
赤井さんは床に跪くようにしゃがみこんで。
無言のまま私の足に、触れた。
ひやりとした彼の手が私の足に触れているという事実だけで、熱が上がるというのに。
一度、二度、確かめるように撫でられて。
そのまま赤井さんの手は私の肩にのびる。
これまた一度、二度、肩の感触を確かめて。
もう、痛みは、ない。
つまり、タイムリミット
「怪我、治りましたよ、もう。赤井さんのおかげで」
そう伝えれば、ゆっくりと彼の緑の瞳が私を見て、ゆっくりと細まる。
綺麗なそれをまっすぐに見つめて、言葉を選ぶ。
「___赤井さん、私怒ってるんですよ」
静かに凪いだ瞳が私を映す。
「怪我なんて、してないって、言った!」
子供の癇癪みたいに、言葉があふれた。
うそつき、うそつき
「言ったところで何が変わった?」
思わず言葉に詰まる。
そんな言い方は卑怯だ。
「っなにも、何も変わらなかったかもしれない!私にできることなんて、たかが知れてる!」
でも、それでも
「絶対に赤井さんに私を持ち上げさせなかった!送り迎えだって、いらないって言った!バイトだって休みをもらった!」
あなたに少しでも負担をかけないで済む方法を考えた。
「そうしていれば___きっと俺は今、ここにはいない」
ぐ、と言葉が止まった。
知ってた、わかってた。
赤井さんが怪我をしていると聞いていたら絶対にこういうことには、ならなかった。
私は絶対赤井さんを受け入れなかったし、赤井さんも私を世話するという考えにはならなかっただろう。
それでも、それでも
私に触れていた腕をとり、ぐいぐいと私と場所を代わる様にベッドに押し付ける、が、
「___何がしたいんだきみは」
失敗して赤井さんの上に転がるような形になってしまった。
でも今はどうでもいい!
「好きな人が私が原因で怪我をしたのを知らないままでいたくはなかった!!」
赤井さんの上から見下ろして、叫ぶ。
見開かれた緑があまりにもきれいで、目じりにそっと触れた。
視線をまっすぐに合わせて、ただ想いを伝えるように
「私は、赤井さんが好き
甘いものを食べてほころぶところも、
しっかりしてるように見えて、抜けているところも
世良ちゃんとか家族を大事に想ってるところも
料理は好きだけれど、あまり得意ではないところも
車を走らせてる時の横顔も
迎えに来てくれたとき私を見つけて緩む表情も
苦いコーヒーを入れてくれるところも
洗濯物を干すのもたたむのも好きじゃないところも
ポアロのエプロンが短すぎて似合わないんじゃないかってそわそわしてるところも
私に触れる手も
私を呼んでくれる声も
私に向けるまなざしも
あなたを勝手に支えようとして、一人で怪我した馬鹿な私を、面倒見てくれるやさしいところも、全部、すき」
すき、あなたがすき
全然うまく伝えられないけれど、それでも、すきなの
「あなたの荷物になりたくなんてないのに、あなたのお荷物にならなきゃこの関係になれなかっただなんて。馬鹿みたいだけど、どうしようもなく、嬉しい」
ゆっくりと彼の顔から手を離して起き上がろうとした、けれどそれはあっけなく、目の前の彼に引き戻されて。
「俺としては___君のためにご飯を作って洗濯をして、バイトに行って君を送り迎えして___新鮮で、平和な日常というのは、こういうことかと思った」
淡々とした言葉でつづられるそれは、耳にやさしく響く。
「これから先も、こういう日常を過ごせるならば、相手は君がいい」
「、君がいいんだ」
え、今、なにを、いわれた?
思わず彼の顔を見ればまっすぐな視線が向けられているのがわかって。
慌てて目をそらす。
「顔をそむけるな。返事をくれないのか?」
「だって、うそだぁ」
自分で言ってなんだけれども、全然いい女なんかじゃなくて。
彼が私を想ってくれるだなんて、考えられないのに。
こんなにも素敵な人が私に想いを向けてくれているだなんて、そんな奇跡
黙り込んだ私をそのままに、彼は私の腕を持ち上げて
「先ほど安室君に触れられていたのはここだったか?」
「ひゃ、」
言葉と同時に手に感じたぬるりとした感触。
背けた目を向ければ、私の手に舌を這わせながらこちらを見つめる緑とかちあう。
「言っておくが、自分のものを人に盗られて平気な性質ではないんでな」
その個所は、彼が舐めている場所は、昼間安室さんにちゅうをされた場所で。
やばい、何をされているのか、動揺する思考の中、唯一口から出た言葉が___
「安室さんと、間接ちゅうですね……!」
彼の瞳の鋭さが、めちゃくちゃ上がった!!
ぐるり、視界が回る。
「君のためにアクアパッツァを作ろうと思っていたが___明日に延期だ」
目の前には赤井さん
背中には柔らかな___ベッドの感触
緩やかにあげられた口角と瞳の激しい色がかみ合わない
「安室君と間接キスは好みではないのでね___君ので上書きさせてくれ」
反論の言葉は彼の口の中に吸い込まれた。
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