ドリーム小説
カウントダウン 0
体全体で抱きしめた腕の中の存在は、小さくか弱い。
すやすやと、眠る姿はあどけなく。
男と共にベッドに寝るという意味を知らない年齢ではないはずなのに。
頬に触れて、その柔らかな唇へ。
彼女が意識を落とすその直前まで散々貪ったその場所はぽってりと紅く色づいていて。
その存在は異質で、同時に眩しいものだった。
俺がいる世界からすれば、眩しすぎる、その存在は。
俺が原因で怪我をした少女を、放っておくほど薄情ではなく。
だがここまでつきっきりで手となり足となるつもりなどさらさらなかったのだ。
俺の分かりにくいといわれる冗談に軽く返してくる姿が思った以上にかわいく見えて。
朗らかな表情で仕方がないとばかりに笑う顔が、あまりにも自然で。
___あなたとともに、ありたい、って___
___そうおもわれる、そんざいに___なりたい___
その言葉は俺の胸にじわりと染み入って。
1週間前のすべてを面倒に思っているであろう俺に、伝えたい。
大丈夫だ、一週間後、俺はかつて手放さざるを得なかった温もりを、また、手に入れられる、と。
はじめは、ただやってしまった。
その感情だけだった。
組織の解体が無事になされて、その事後処理で諸々の作業があって。
ようやっとひと段落ついたところで、幾日か寝損なったからだと思考はばらばらの状態で、ふらぁ、と歩道橋から落ちた。
まさに、落ちた。
ああ、やばいな、と思いながらも落ちていく体をどうすることもできず。
まあこの高さならば打撲くらいかと諦めて落ちるに身を任せた___つもりだったのに
ぐ、と腕を、つかまれて。
がくん、一瞬だけ勢いをなくしたからだ。
何事か、と開いた視界の中、必死に俺を抱き寄せる小さな手のひらが、見えて。
先ほどすれ違ったその存在か、と認識するよりも先、小さなその温もりをぐっと腕の中に抱え直す。
俺が原因で怪我をされては困る。
本音はそれだけだったというのに。
抱きしめたその温もりの小ささに、どこか心臓をくすぐられたのは、確かで。
体に走る衝撃を最低限に押さえて、微かに痛んだ腰はなにもなかったと言い聞かせて。
腕の中、あわあわとあわてる少女を宥め賺し、痛みを発したその場所に配慮して抱き上げる。
___返事もなに聞かずに車に連れ込んだ俺が悪いが____警戒心の薄さが心配になる。
この子の危機管理能力はいったいどうなっているんだ。
病院に連れて行けば1週間ほど安静を命じられて。
諸々が落ち着いた今なれば、1週間くらいの休暇も許されるだろう。
その期間の間くらい___彼女を見守ることはできる。
抱き上げた体はひどく軽く、小さく、けれど、子供とは違いどこもかしこも柔らかく、ささやかな、香りを伝えてくる。
片手でも持ち上げられるほどのそのサイズ感は、ここ長く接してはいないもので___
再度車に乗せて溜息を一つ。
「___巻き込んで、すまなかった」
俺の言葉にきょとんとしたかと思えばへらり、彼女は笑う。
それは、平和ぼけした___柔らかな笑みで。
何処かこわばっていた体が、すとんとほぐされた気がした。
自分の体のことよりも俺のことを気にする様は好意的に思えて。
助手席から伸びてきた手が、胸元に、顔に、触れていく。
肩がいたんだのか、微かに顔をゆがめるのがわかって
「___大丈夫だ。あまり肩を動かすな。悪化する」
その手に触れて、ストップをかけて、自分よりもずっと小さな柔らかな手のひらを、なでる。
「___1週間、安静にと言われたな」
「ああ、言ってましたねぇ。うーん、バイトとかあるんですけど、まぁ仕方ないですよねぇ」
もにもにと触れながら聞けば頷きながらどうしようか、という表情を浮かべる。
ころころ変わる表情が興味深くて、その瞳を、まっすぐにみつめる。
と、どうやら俺の目に弱いらしい彼女は、俺と目があった瞬間おもしろいくらいに動揺して見せて。
息を詰める様が、まるで小動物をいじめてるように___思えなくもない。
ああ、おもしろいかもしれない。
手を握りながらもう片方の手で呼び出すのは職場の同僚。
離して欲しい、とばかりにぶらぶらと揺れる片手を放って。
”赤井さん、どうしましたか?”
電話口聞こえてきた同僚の声に、淡々と返事を返す。
「___俺だ。すまないが1週間ほど休暇をもらう」
彼女をみれば、びっくりしている、と前面に押し出した表情が帰ってきて。
”昨日の件はどうしますか?あと、明日ジョディさんが書類を届けにくると___”
「___その件はキャメルに任せる。ああ。そっちは休暇があけてからだ」
なだめるようにその手のひらの甲を指でなぞれば小さく声を上げた。
ふむ、中々にいい反応だな。
”わかりました。ゆっくり休んでくださいね___何かあったのか、聞いても?”
控えめな同僚の言葉に頬がゆるむ。
「ああ、少し可愛らしいペットを拾ってな。一週間ほど面倒をみることになったんだ」
”___わかりました、何かあればまた連絡をいただければ、対処します”
いろいろ言いたいことはあったろうに、がんばって飲み込んだな偉いぞキャメル。
「と、いうことだ。君の怪我は俺が原因でもある。一週間面倒をみさせてくれ___子猫ちゃん」
「にゃぁ、とでも言えばいいんですか?お兄さん」
子猫と言われたことが理解できない、そんな表情を浮かべる彼女に、笑う。
「ふ、俺は君の名前をまだ知らない」
「奇遇ですね、私もお兄さんの名前、知らないんですよねぇ」
ああ、そういえばまだ初めましてすらしていなかったな、と。
見つめ合って、数秒、小さな笑いが漏れる。
出会って数時間、しかも始まりはこちらに巻き込む形だったというのに。
そんな相手の前で穏やかに笑う彼女に興味は尽きず。
「赤井秀一だ。改めて1週間よろしく頼む」
「です。1週間、御世話になりますね」
1週間、彼女と共に過ごすことは、俺にどんな変化をもたらすのか___期待せずにはいられない。
家に帰るのが面倒で、少し押せば何とかなるか、だとか思ったことは確かだが。まさかこんなに早く折れるとは___本当に大丈夫か、この子は
ぽんぽんと返ってくる言葉の応酬は楽しく、会話を楽しみながら食事を終えて、向かった彼女の家。
あっさり場所を教えた上に簡単に家まで一緒に入らせた。
繰り返し聞くが君に危機管理能力は備わっているのか?
泊まることを伝えればきゃんきゃんと小動物のようにほえる彼女。
「問題が?」
「むしろなんで問題ないって思ったんですか?そこ詳しく教えてもらえますか?」
ほお、一応危機感は持っているようだな___足りないが。
と、まあいろんな攻防をする内に驚くほどあっさりとあきらめて、気がつけば彼女は夢の世界へ。
すやすやと眠る彼女を起こすにはしのびなく、仕方がないか、と眠った彼女の足下に湯を張った桶を持ってきてその足を浸す。
痛みに響かないように、と丁寧に拭っていれば、ふわり、空気が揺れた。
「き、れぇ」
突然響いた声。
発信源は一つしかなくて。
ゆっくりとそちらに目をやればとろとろの瞳でこちらをみてくる彼女の姿。
「あめだま、みたい、」
ほけっとした口調でもたらされる言葉がおもしろくて、小さく笑う。
「味わってくれるのか?」
そう聞けば、一度、二度、柔らかく瞬いた瞳が、また溶けそうにゆがむ。
「あじあわせてくれるんですか?」
一回り以上年が離れているというのに。その声に含まれる色香は、そそられるものが、あって、息をのむ。
小さな手が伸ばされて、頬に触れた。
暖かい体温は寝ていたからだろう。
もともとの体温が低い俺の頬を少しずつ暖めていく。
こつり、額同士が重なれば、彼女の真っ直ぐな瞳が俺を射抜く。
とろとろしたその瞳の方がおいしそうと思わずにはいられなくて。
「でも、もうちょっとながめてたいです」
舌足らずに告げられれば、望むようにしたくなる。
言葉を発さぬままその手のひらに捕らわれていれば、緩やかに瞳が頬が、笑みを形どる
「最後はちゃぁんと、おいしくたべますね」
ああ、もちろん。
最後まで余すことなく味わって食べて欲しいものだ。
あわよくば___味わうのはこちらでありたい、などと思う俺もいなくはないが
彼女は朝があまり強くないらしい。
俺が部屋にはいったことにも気づかずぼんやりとベッドにへたりこみ、うつらうつらとする様は、はじめに揶揄した子猫そのもので。
もぐもぐと、必死に俺が作った朝御飯を食べる様子を朝から眺めていれば、こんなにも心地がよい空間はいつぶりかと思考する。
量が多いと言いながらも必死で口に入れていく様子は___子猫よりもハムスターか。
自分が作ったものを、人に食べてもらう。
数年前、沖矢に扮していた頃のことを思い出さずにはいられない。
自分で作ったものの味など分かり切っているはずなのに、誰かとともに食べると言うだけでおいしさが増すというのは___中々に興味深いものだと思った記憶が強く残っている。
このころはまだ、愛玩動物に向けるようなそんな感情だったと思われる___このころは、まだ。
おなかがいっぱいだという彼女の胸元は食べる量と比例しているのだろう。
ささやかなその箇所は、俺的にはもう少しあった方が好みだったりするんだが___もちろん口に出すつもりはない。
この一週間自分の役目は早く怪我を治すことだと、さっさと理解すればいいものを。
ほら、食器を運ぶのも俺の役目だからじっとしていてくれ。
久しぶりに会った新一君はあのころと変わりなく、”沖矢”の頃に出会った彼女たちも元気そうで。
安室君が料理を楽しむ理由がわかる気がする。
作った弁当をおいしかった、と笑顔で伝えられれば。
彼女とふれあうことは___まるであの時の自分をなぞっているような、そんな錯覚を起こさせる
彼女のバイト先であるポアロでは、人手が足りないのだと、以前よりも強かになったような気がしないでもない女子店員___梓さんに押し切られる形で1週間の臨時採用が決まった。
店に入ったときから気になっていたケーキは非常においしかったとここで述べておこう。
彼女が学校に行っている間に作った晩ご飯はカレーだった、が___まさかジャガイモを切り忘れるとは思わなかった。
お皿の中、大きな存在感を放つジャガイモ。
沖矢時代一番よく作っていたこれには自信があっただけに、少々残念な気持ちがこぼれる。
彼女がおいしい、と食べてくれただけに___次は完璧なものを、作り上げよう。
治療をして、彼女の髪にドライヤーをかける、そう言ったのに。
気がつけば俺の頭が暖かな風に吹かれている。
さらに言えば想像以上に気持ちのよいそれに、寝落ちた。
まさに、寝落ちをしたのだ。
こんなこと、いつぶりだろうか。
昨日も彼女の治療後、ほとんど寝ないまま、炬燵で晩酌を一人していた。
誰かの側で眠るなど、ここ数年できた試しが無いというのに。
___明美を失ってからは、特に。
ゆっくりと寝かされていた炬燵から起きあがると寝室に足を向ける。
危機感も何もなく、すやすやと寝息をたてる彼女は___明美ほど綺麗でも、賢そうにも、見えない。
何一つ、明美を思い起こす要素などないというのに。
音を立てずに彼女と同じ布団に入り込み___彼女を抱きしめて瞳を閉じれば、ゆっくりと意識は薄れていく。
彼女の側で眠れたという事実に、何かが大きく変わると、思わずにはいられなかった。
朝、彼女の携帯が音を立てたことで意識は急速に引き起こされる。
ゆっくりと目を開けた先、すやすやと眠り続ける彼女の姿。
音を立てた携帯に手をやってちらり、画面をみれば新一君からの連絡のようで。
休講を知らせるそれに___なれば、もう少し寝ていても構わないか、瞳を閉じて閉じこめたその体を再度だきしめ直した。
まだ眠る彼女をそのままに作ったのハンバーグや野菜類をバンズではさんだハンバーガー。
安室君のように綺麗に、まではいかないが、中々おいしそうにできたのではないだろうか。
彼女を学校に送ってその後あまりうまく干せない洗濯物を干す。
少々よれよれだが彼女のことだ、許してくれると信じよう。
その後、彼女の代わりに向かったポアロでは梓さんによってコーヒーの入れ方、料理の運び方などを伝授された。
「いいですか?赤井さん。お客さんにコーヒーを出すときは、まだ練習中で、アドバイスくださいっていってくださいね!少し寂しげに笑って!」
そんな言葉を渡されたので素直に従、えば、サーブしたテーブルの女性からのおかわりの声が、増えた。
迎えにいった先では数年ぶりに会う妹の姿。
まさか新一君たちだけでなく、妹とも面識があったとは。
真澄からも同様の驚きの声と、久方ぶりにみる満面の笑顔。
その笑顔は彼女に怪我をさせたのが俺だと知り、一気に複雑なものへと変化したが。
さて、問おう、安室君。
なぜ君がここにきた。
本業は、どうした。
どう考えても君のところも今は大忙しだろう?
風見君にまた迷惑をかけているんじゃないだろうな。
だというのに、なぜ、わざわざ自分の仕事を増やした・・・・・・?
___しかしながら安室君の入れるコーヒーは非常においしい、認めよう。
あと晩御飯も非常に美味だったとここに記しておく。
ひょこひょこと動く彼女はハムスターから最近はひよこみたいだと思うようになった。
格上げだな___格上げ、か?
熱を持つ患部を冷やすために触れた、それだけで他意はないというのに。
俺の冷たい手に息をのみ、声を上げないように口を押さえる様は___それなりにこちらの情をもわき上がらせる。
夜になればなるほど。
その瞳がとろければとろけるほど。
足から手を離して、視線を逸らせば、ようやっと息ができる、とばかりに止めていた呼吸が再開される。
ひどく簡単な女だと、思わずにはいられないのに、その女に解されそうになっている自分がいることも否めず。
安室君に触れられた肩に触れて確かめていれば、不意に問われた。
「___安室さんとは、どういうお知り合い、なんですか?」
ふむ、俺のことは聞かないくせに、彼のことは聞くのか。
いささか気分がよくはない。
ちり、と熱を発しそうになった心臓を押さえつけて、
「___君がはじめに聞いてくるのが、俺のことではなく安室君のこととは___妬けるな」
そうつぶやきその顔に近づいていく。
寸止めで止めようと、そう思ったんだが___その艶やかまでな表情が余りにもそそられて、そのままいっそのこと奪おうかと距離をつめた、ら
べちん、
間抜けな音と共に手のひらに遮られた。
謝罪の言葉を聞きながら、こみあがってくる笑いは止まらず。
「すまん。からかってみただけだ」
本当は違うけれど、そういうことにしておいてやろう。
「そうだな___安室君は___志を同じくした戦友、といったところか」
戦友
友達でも、仲間でも、知り合いでもなく。
共に、戦い抜いた、友
きっとそれが俺と安室君にふさわしい言葉だろう
その言葉はひどく、しっくりときて。
「___向こうも同じように思ってるんですか?」
そっと聞かれた問いかけの答えを、俺は持っていない
「さあ、どうだろうな」
きっと向こうは俺を___今も許さぬままだろうから
脳裏によぎるスコッチの名を持つ男が、記憶の中でだけは、まだ笑っている。
昨日安室君のサンドイッチがやっぱりおいしかったので朝ご飯はサンドイッチにしてみた。
安室君から習ったコーヒーも彼女には好評で。
彼女を学校へ送れば、今日は少々時間がかかるから迎えは不要とのこと。
新一君が必ず送り届けると約束したので大人しくポアロで帰りを待つ___はずだったというのに。
ほくほくと頬をゆるめる梓さん。
その向こう”安室透”の笑顔を浮かべる彼。
その笑顔にうっとりとした視線を送るのは、若い女性たち。
三十路をすぎているとは思えん容姿は、確かに老若男女の視線を釘付けにする。
今更ながらに組織の潜入ができていたことが不思議に思うくらいには特徴的な容姿と表情だ。
「赤井、視線がうっとうしいんですけど」
「気のせいじゃないか?」
俺に向けてだけは言葉が辛辣だが、これはもうデフォルメという奴だろう。
「彼女を___何とも思っていないならばいらないことになる前に距離を置けよ」
梓さんが注文を取りに行ったのを見計らって、小さな声で鋭く忠告をくれる彼は___確かにこの国の平穏を望む警察官で。
「ふむ、いらないこと、か___例えば?」
「___自分で考えろ」
と、からん
扉が開く音が響いた。
ゆっくりとそちらをみれば、俺の腰ほどしかない身長の___小学生が、一人。
まん丸いきれいな瞳が俺を映して、何ともいえない色を宿した。
「哀ちゃんじゃないですか!」
俺よりも先に声を上げたのは安室君で。
久しぶりね、と言葉を返している。
それよりも___
「工藤君におもしろいものがみられるから、っていわれてきたんだけど___成る程ねえ、確かにおもしろいわね」
新一君・・・・・・
思わず顔を覆って目をそらせば、くすくすと笑いながらカウンター席に腰掛ける哀。
短な手足をうまくくみながらホットコーヒーを頼む姿は外見をのぞけば小学生に見えない。
成長するにつれて、少しずつ明美の面影を宿す彼女に___惑わされなくなったのは、いつからだったか。
「哀、俺がコーヒーを___」
「私安室さんのコーヒーが飲みたいの」
俺が手ずから入れたコーヒーを、と声をかければぴしゃりと遮られた。
___安室君、自慢げな表情でこちらをみてこないでくれ。
仕方なくコーヒーは任せてかわりにクッキーでも用意しよう。
その間もじい、っと視線を、感じていて。
「似合ってるわよ、赤井、さん」
にんまりと口角をあげながら彼女は俺に向けてそう言った。
このエプロン姿のことか?
少々サイズが小さく思えるが,変ではないか?
微妙な表情を浮かべている俺に楽しそうに彼女は笑う。
「あなたらしくなくて」
それはほめ言葉なのか?
非常に理解に苦しむところだが。
安室君によってだされたコーヒーを味わいながら、そう言えば、と哀は言葉を発した
「あの子たちが、久しぶりに沖矢さんに会いたいっていってたんだけど?」
哀が言う”あの子たち”がわからないはずがない。
脳裏に浮かぶ三人の子供たち。
彼らの中心を担っていた子供がいなくなった後も、彼がいなくなった最大の謎を解くまでは、と探偵団を続けている彼ら。
その保護者的ポジションであの子たちを見守る哀はあのころ以上に優しい目をするようになった。
そんな哀の、それからかわいい子供たちのお願いを無碍にするわけにはいかない
「明日でよければ時間を作ろう」
そう答えた俺に哀は緩やかに微笑んだ。
「あ!アイスクリームがなくなっちゃった!」
厨房の奥から聞こえてきた梓さんの声。
”安室君”である彼がそれに対して行動しないわけがなく。
買ってきますねと、颯爽とエプロンをとって出て行った。
哀も少し前にごちそうさま、と出て行ったため、店内にいるのは俺と梓さんと、幾人かの女性客。
「赤井さん、コーヒーお願いしてもいいですかー!」
店内に響く甲高い声。
客の要望に返事をしてコーヒーをいれだす。
安室君ほどの手際は無いが、はじめよりはうまく入れられるようになった、と自負している。
こぽこぽと抽出されたコーヒーが落ちていく様はみていて飽きはこず。
この場所は、思ったよりも居心地のよい場所で。
安室君が、が、大事にしたがる理由が納得できる。
向けられる視線も悪意は少なく、どちらかというと好意的で。
好意的ではあるが、幾人もの女性が安室君に向ける熱い視線ほどのものはここにはなく。
ああ唯一、その熱をこちらに向けてくるのは___隠し事のできない、素直な、彼女だけか。
脳裏に浮かんだ彼女が、不機嫌そうに眉を寄せて、それでいて頬を赤く染める様は___厭う気持ちになど、させてはくれない。
確かに、俺は彼女に好意を抱いている。
彼女が、俺に向けてくれる感情に近いものを。
共に過ごしているこの数日、日に日に感情が傾いていくのを感じながら、
___だいくん___
それでも、俺は___まだ、動くことはできない
からん、
思考を遮るように響いたベルの音。
耳なじみのよい柔らかな安室君の声が響けば、女性客が小さくも楽しそうな黄色い声をあげて
___しかしながら、同時に広がったざわりとした喧噪は、何事か。
梓さんの朗らかな声に導かれるように顔を上げて___
「おかえり、安室く___は?」
「・・・・・・ただいまで〜す」
思わず間抜けな声が漏れた。
なぜ、今し方思考に登場していた彼女が安室君に抱えられているのか。
しかも片腕に座らせるような形で。
へらり、ごまかすように可愛らしく笑うがごまかされてやる気はさらさら無い。
新一君はどうした?
「ちゃん、今度はなにしたの?」
「梓さん、語弊を抱く言い方はやめてもらいたく・・・・・・」
梓さんの言葉に力なく言い返す。
しかしながらびっくりするくらい説得力はない。
そしてなによりも___
「安室君、なぜ共に行動しているかはこの際おいておこうと思うが___重いだろう、預かろう」
彼女を抱えるのは俺でありたいと願うのは愚かな独占欲か。
彼女を重たいと、そう思うことはないけれど。
「大丈夫です。鍛えてますから、これくらいで重いだなんて・・・・・・」
にっこり笑顔で笑う安室君。
店内に響く女性の黄色い悲鳴。
ほら、安室君女性客がそわそわと君をみているだろう。
は俺に渡して、さっさと相手をしてきたらどうだ。
「天使の羽のように軽いから大丈夫ですよ」
「安室さん、嘘っぽい」
「そうですか?本音なんですけど」
目の前で交わされる言葉の応酬が、どこか楽しげで。
「むしろ重いって言ってもらった方が、あきらめがつきます」
「では正直に。重いですけど、女性の平均体重くらいでしょう?健康な証ですね!」
「安室さんんんんん!!そういうはっきりはいらないです!!」
目の前で交わされる視線のやりとりが、どこか親しげで。
その真っ直ぐな瞳が俺を映さないのは、不愉快でもあり。
手を、のばした。
柔らかな二の腕を、強く引き寄せる。
傾いてくる華奢な体を胸元に引き入れると声を上げながらもしっかりと俺の腕の中にはまりこむ。
「おい、赤井」
安室君のあきれたような声にひらりと手を振って、腕の中の感触を確かめるように、一度、二度、抱き直した。
こわばっていた体もゆっくりと緩急していく。
慣れた場所に収まるかのように、息を吐くものだから、さらに強くなりそうな腕の力を___戒めた。
「新一君はどうした?」
思考をそらすように問えば、ふらり、さまよう視線。
そして、またへらりと笑った。
「工藤君は、探偵ですから」
それは、もう、仕方がない。
彼は、事件に愛されてしまっているから。
ちらり、安室君をみれば、どこか誇らしそうに笑う姿。
「相変わらずなんだね、新一君は」
彼の言葉に同意しないわけにはいかないだろう
帰り道の車の中。
安室君と出会った経緯を聞く、それだけのつもりだったのに。
ドライブデート、だとか言う単語が聞こえてきたため___急遽このまま車を走らせてみることにした。
安室君ほどの話術があるわけでもない俺が話せることなど盛り上がりに欠けるものばかりで。
どうしようかと考えていれば、隣のが驚くほど体をがちがちに固めるものだから、なんだかおもしろく感じて。
がちり、煙草を噛む。
何度もその場所に乗せたというのに。
初めてじゃないのに、どうしてそんなにも緊張をしているのか。
理解できず思わず笑いがこみ上げる。
「なにを今更緊張しているんだ?」
そう問えば、答えを探しているのか、一度、二度、繰り返される呼吸。
「赤井さんが、大人の男の人すぎて、どきどきしちゃうんですよ」
それは___大人の男の人だからか___俺、だからか。
非常に興味深いところはあるが、問えば彼女は真っ赤に顔を染めてそっぽを向くのだろう。
それはそれで楽しそうだが___せっかくの二人きりの車中。
機嫌を損ねたいわけではない。
笑い声をあげた俺をみて、は困ったように微笑んで、そしてどこか付き物がとれたかのようにすっきりとした表情を浮かべた。
「ねえ、赤井さん、赤井さんのこと聞きたいっていったら教えてくれますか?」
前聞かれたのは安室君のこと、だったから。
今回俺のことが聞きたいと、そう言われることは素直にうれしいもので。
「内容にもよるがな」
煙草の煙を吐き出しながら、答えてみせれば、ほころぶ表情。
「たとえば、世良ちゃんのこととか、家族のこととか___あー・・・・・・でも、なんでもいいや、赤井さんが話してくれるんだったら」
俺の話であれば何でもいい、と。
望まれるのであれば、話せる範囲で伝えようか。
夜。
炬燵で眠気がこない体を持て余して。
そうして煽るのはバーボンのロック。
からり
グラスと氷が接触する音。
同時に後ろで誰かの気配。
誰、と言わずともわかってはいるが。
ちらりと視線を向ければ隠れているつもりか、控えめにこちらを向く。
「眠れないのか?」
声をかければ飛び上がらんばかりに驚いた後、そっと寄ってくる。
様子をうかがうように近づいてくる様は___猫か、兎か。
「お酒・・・・・・?」
俺の手元をみて、ぱちくりと目を瞬かせる彼女。
寝間着のままでは寒いだろう、と炬燵を自分のすぐ横をあけてみせれば、その狭い空間に何の抵抗もなく入り込んできて。
眠たいからだろう、温い体温にすり寄れば、女性特有の柔らかさをも感じて。
その接触は___ずくりと、どこか深いところに影を落とす。
「お酒、すきなんですか?」
どこか舌っ足らずな質問。
とろりと溶けた瞳が瞬く。
「酒は飲むのか?」
逆に聞き返せば、こてりと首を傾けた。
「の、めなくは、ないですけど・・・・・・あまり強くないですよ」
確かに強そうには見えない。
持っていたグラスを渡せば、戸惑ったような表情。
ものは試しだ、飲んでみろ。
仕草で伝えればそおっと小さな唇がグラスに触れる。
眠たげだった瞳が、かっ、と見開かれ、一気に顔が赤くなる。
すぐさまグラスからはずされた唇に、紅い舌がぺろりと這う。
それはひどく扇情的で
衝動的に動きそうになった腕を、止めた。
「好きか、嫌いかで聞かれれば、好きなんだろうな」
彼女からグラスを受け取り、のどに流し込む。
彼女の唇が触れた箇所が甘いだとか___馬鹿なことを考える思考を飲みこむように。
喉元に延びてきた彼女の手を反射的につかめば、へらり、返ってくるのは締まりのない笑い。
___これが、日常になれば、それは、どんなに幸せだろうか
「赤井さん、ほかになにがすきですか」
よぎった考え。
咄嗟に、くちをついて出そうになった言葉を、飲み込む。
代わりに彼女の質問への返事を口に出して。
「当てて見ろ」
「あてたら、ご褒美くださいね」
へらへらと笑いながら思考を巡らす様は先ほどの表情とは違い、幼く見えて。
「みためと違って、赤井さんはあまいのすきですよね」
彼女の前でたくさんの甘味を食べた記憶はある。
「たべるっていうことも、つくるのも、あんまりきらいじゃない」
作るのを楽しいと、食べさせるのが楽しいと、そう思わせたのは君だけれど。
「それから、せらちゃんとか、かぞくも」
一度手放す覚悟をしたそれらが、再度この手の届くところにあるならば。
できる限り守り続けたいと、そう思えるようになった。
この手が届く範囲くらいは。
コーヒーに車、ドライブにお酒。
彼女は俺が返事をしなくても楽しそうに言葉を紡ぐ。
と、
「くどうくんのことも」
突如もたらされたのは探偵の名前。
そうだな、好きか嫌いか、聞かれれば好きという奴だろう。
「あむろさんのことも、だいすきですよね」
これはまた、難しいところを突いてくる子だ。
「・・・・・・んー、大好き、だとなんかちがう・・・・・・きらいじゃない、はあむろさんのことばだし・・・・・・」
「___安室君が俺のことを?嫌いじゃない、と?」
思いがけずもたらされた言葉。
その意味をはかりかねて、聞き返せばへらへらとした表情が返ってくるわけで。
「んー、そう、きらいじゃないよ。って。でも、ずっととららわれたまんまなんだって」
とらわれた、まま。
俺も、彼も。
未だにあの夜の中。
「私は、ふたりのかんけいを、しらないし。しることもないって、わかってる」
真っ直ぐに向けられるその瞳はまぶしいほどに純粋で。
俺が話さないことも話せない理由も、知らないはずなのに。
「___俺が原因の一端を担って、彼の友人を失ったんだ」
かつての記憶。
失った彼は、俺にとっても無関係な存在ではなく。
共に背を預け合うことのできるほどには、互いの腕を信じていた、そんな存在で。
けれど、安室君にとってはかけがえのない友人で
「あかいさんもおなじくらいきずついた?」
無垢な瞳は静かに問う。
傷ついた?
傷つかないことなど、ない。
それでも、それでも___
「彼の感情に比べればそれは」
「くらべちゃだめだよ。くらべるなんて、いみがない。そのかんじょうは、そのひとだけのものでしょう?」
俺の言葉を遮って、彼女は綴る。
その痛みは、俺だけのものだと。
「それでも、彼の感情を受け入れることで彼が___」
安室君が俺を憎むことで、彼が___
「にくむことで、じぶんをたもって。にくまれることで、じぶんのへいおんを、まもってるって、あむろさんはそういったの」
ぺしゃり、頬が温もりに包まれる。
「あかいさんがにくまれることをのぞむかぎり、あのひとはにくみつづけることしかできない」
彼女の瞳の中に俺が映るほどの至近距離で。
「あのひとがにくみつづけるかぎり、あかいさんはにくまれつづけなければならない」
引き寄せられた先、彼女の瞳が柔らかく笑む。
「きらいなひとを、きらいなままでいるのはらくだよね」
諭すように、でも押しつけがましいわけではなく。
ただ意見を述べるように、静かに。
「にくまれている、ってつみのいしきをもちつづけるのは、にげてるのといっしょ」
俺が安室君を捕らえて、安室君に俺は捕らわれている
「あかいさんはあむろさんにとらわれていて、あむろさんをとらえているのは、あかいさんじしんだよ」
俺が、安室君の憎しみを受け入れれば、彼は真っ直ぐに俺を、いつか手に掛けるために挑んでくるだろうと、思っていた。
___彼の感情を受け入れることで、俺自身どこか安心していたような気が___しないとも言い切れなくて。
何におびえたのか、彼女は俺のグラスを奪うとぐ、とのどに流し込んだ。
そのままふらふらとした体で俺の方に倒れてくる。
「わたしじゃ、やくぶそくってしってる」
受け入れた柔らかなからだ。
「それでも、ねがわずにはいられない」
つぶやかれる舌足らずな声。
「あなたとともに、ありたい、って」
甘く緩やかに俺の中にしみ入っていくそれは___
「そうおもわれる、そんざいに___なりたい___」
そのまますやすやと夢の世界に飛び立った彼女に溜息を一つ
「___もう、なってる」
決定打、だ。
こんなタイミングで、こんな風に言葉を投げかけられたら。
手は出さずにおこうと思っていた。
1週間限りのつきあいだ。
これからを想定させるつもりなど、なかったのに。
___だいくん___
俺の中、ずっと消えないその存在は、じくじくと痛むその場所を麻痺させるかのように、いつだってそこにあるというのに
眠りに落ちた彼女と共有する暖かさは、この生活がずっと続くことを錯覚させるほどに、心地よく。
「すまないが、今日は帰りの迎えなどが難しい。沖矢という知り合いに任せた」
朝からシャワーを浴びた俺の上半身をみて挙動不審になる彼女を楽しんだ後、二日酔いで頭痛に悩まされる彼女にそう告げれば理解できなさそうな顔をしながらも素直に頷いていた。
久しぶりの”沖矢”と子ども達の邂逅
かつての大学院生の沖矢と同じように笑って見せて
懐かしい声に、たった一人いなくなった”あの子”に想いを馳せて
久しぶりついでに、新一君達にも会いたいと、はしゃぐ子ども達をつれて向かった大学にて。
全力でこちらを疑う彼女がそこにいた。
「初めまして、ですね。さん。赤井さんの代わりに参りました。沖矢昴です」
「はじめまして・・・・・・です」
初めて”赤井秀一”と出会ったときとは違うその態度にひどく興味をそそられて、非常に面倒な絡みかたをした自覚は、ある。
「さん、私では不満ですか?」
「う、そういうわけじゃ、ないんですけど・・・・・・」
「では、行きましょうか、さん」
挙動不審な彼女が新鮮で、あえて反応が返しにくいきき方をして。
「・・・・・・友人?」
「なんで聞いたんですか?」
「・・・・・・家族?」
「もっと近しくなった」
「・・・・・・共犯者?」
「なんで次は物騒になってるんですか?」
「・・・・・・今日の晩ご飯、なにを作る予定ですか?」
「そうですね。さんはなにが食べたいですか?」
「言ったら作ってくれますか?」
「努力はしましょう」
「じゃあ・・・・・・アクアパッツァとか食べてみたいです」
「わかりました、ではカレーで」
「おい」
「すみません、あまり料理のレパートリーを持っていないんです」
「赤井さんも沖矢さんも煮込み料理好きすぎません?」
「そのかわり、量だけはたくさん作りますから」
楽しい反応にのらりくらりと言及を交わし、からかうように言葉で遊ぶ。
「ちゃんと食べないと大きくなりませんよ?」
「どこを見て言ってるんですか?」
「本当にカレーライスですね!量も多い!」
「___ジャガイモはちゃんと切ってあるんですね___リベンジ成功ですか?」
「___なんのことですか?」
気づくかどうか、気になってあえて”赤井秀一”と同じことをしたのも確かで。
友人と言うには遠すぎて
家族というのは近すぎて
共犯者がきっと赤井秀一と沖矢昴を言い表すのに一番ふさわしい言葉
俺の言葉に仕方がないな、とばかりに笑う彼女にほほえみ返す。
シャワーを浴びた彼女に湿布を貼って、包帯を巻いて。
大人しくそれを眺めるだけの彼女に___気がつけば聞いていた。
「なにも___なにもきかないんですね」
俺のことを、なにも。
この状態のことも、なにも。
聞かれたら困るのは俺自身のくせに。
「聞いたら困るくせに」
ぽつん、と返された言葉。
見透かしたような言葉に思わず笑った。
ぽん、と湿布を張り終わった肩を軽くたたいて立ち上がると、車の鍵を手に持って。
「___何処か行くんですか?」
こんな時間に?
言外に込められた疑問に何を言っているのかと首を傾けた。
「帰るんですよ?」
「泊まっていかないんですか?」
自然にこぼされたその言葉に、思わず彼女を見つめた。
「___初対面の相手をほいほい泊めるような子に育てた覚えはありませんよ?」
「育てられた覚えもないですね」
危機管理能力のなさがやばい
これはこんこんと膝をつきあわせて説教か。
そう、思っていたのに。
「___だって、赤井さんが信じる人ですもん。なにも、しないでしょう?」
ぐ、と息が詰まった。
”赤井秀一”を、信じているのだと、彼女は言外に込めた。
自分が怪我をする原因となった人物を、心から信じていると。
その透き通るような瞳に感情を乗せて、真っ直ぐに俺を見つめてくるものだから
逃れられる、はずなどない
「あなたにそれほど信用される赤井さんが、少々うらやましいですね」
「うらやましい?赤井さんが?」
この視線は、想いは、向けられる先は”沖矢昴”ではないことに、今、自分が”赤井秀一”であることに、まさかこんなにも複雑な感情を抱くとは思わなかった。
「ええ、あなたにそんなにも想われて」
そう、彼女は想っているのだ。
想って、いるんだ、俺を、赤井秀一を。
どう、逃げようとしても
「___そうですね、私は赤井さんを想っていますよ」
手を伸ばされた。
沖矢昴の首もとに。
変声機が隠されたその場所に。
むやみにさわられるわけにはいかなくて、それをつかめば柔らかな感触。
俺の手のひら一つで簡単に壊せるほどの柔らかさ。
「___すき、ですよ、あの人が赤井秀一さんが」
心から想う、そんな表情で。
「すき、で、同時に、わかってるんです。1週間でさよならだから、深入りしちゃいけないって」
わかっていると、苦しそうに笑うから
「私みたいな子供じゃ、あの人が抱えているものだって背負えない」
そんなことはない、そう言いそうになって。
「さ___」
伸ばした手は、簡単にかわされた。
「だから、沖矢さん___この気持ち、赤井さんには内緒にしといてくださいね」
なんて不器用な 笑顔
赤井秀一ではない俺には、慰めることなどできないというのに。
のびそうになった腕をぐっとこらえて穏やかに笑って見せた。
沖矢昴である俺は、赤井秀一として彼女の言葉を聞かなかったことにしなければならない。
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