これが私の王子様
あの人に始めて出会ったとき、その色彩に、出で立ちに、王子様みたいだと思った。
きらきらとオレンジ色の光を反射して輝く髪。
褐色の肌は、当時年の離れた姉が追いかけるアイドルの姿によく似ていて。
絵本の中、剣を持ってお姫さまを守る、そんな格好いい王子様だと。
けれど、どきどきしながら近づいてみれば、その王子様は静かに肩を落として、それなのに視線は何かを求めるように世界をさまよっていて。
絵本の中の自信満々な姿はそこにはなく。
声をかけずにはいられなかった。
___お兄さん、どこが痛いの?___
私の呼びかけにこっちを見てくれた瞳が、あまりにも綺麗で。
なのに痛そうにゆがめられていたことが印象的で。
知らない人に話しかけてはいけません。
学校の先生にも、お母さんにも言われていたけれど、それでも彼を放っておく方がだめだと。
幼心に思ったんだ。
茜色が闇に塗り替えられる狭間の時間。
公園には幼き子たちの姿は見えず。
ただ、一つの影がベンチにあった。
軽く腰掛けて宙を見上げるその瞳はただ世界をさまよって。
ゆっくりとその影に足を向けた。
その影は、彼は私が近づくのに気づくとこちらを見てただ静かに眺めてきて。
「こんにちは、お兄さん」
私はいつだって彼をお兄さんと呼ぶ。
だって、名前を知らないから。
名前どころか年齢もお仕事も、どこにすんでいる人なのかも。
なにひとつ、このひとのことをしらないから
「こんにちは、先生」
彼はいつだって、私を先生と呼ぶ。
初めて会ったときランドセルを背負っていた私が彼に望んだ、呼称のまま。
幼き子供の戯れにいつまでだってつきあうかのように。
なまえもとしも、なにひとつきかれなかったから
脳裏に蘇る、幼き日の記憶。
立ちすくむ王子様のようなお兄さんに話しかけずにはいられなかった小さな私。
___お兄さん、痛いときに我慢しちゃだめなんだよ___
彼がなにを抱えていたのか、抱えているのか、今もわからないままだけれど、あのときの私は彼にそう言って。
小さな手のひらを、彼の冷たい頬にあてて、撫でた。
___痛いときは、痛いって言ってもいいんだよ。泣いたっていいんだよ___
私の手を甘んじて受け入れながら、彼は私の言葉に、困ったように眉を下げて。
応えを考えるように一度、二度口を開閉させて、言葉を選ぶようにつぶやいた。
___痛いって、言い方がわからないんだ___言う相手が、もう、いないんだ___
わからない。
大人の人でもわからないことがあるんだと、初めて知って。
私でも知っているそれを、このお兄さんが知らないことに驚いて。
でも、放っておいたらこの人はきっと誰にもその言葉を言えないままなんじゃないか、って思って。
___泣き方なんて、忘れてしまった___
ならば、ならば私が、私がこの人に教えてあげなきゃって。
___じゃあ、私がおしえてあげる。痛いって言い方がわからないなら、私がおしえる。お兄さんにお話しできる相手がいないんだったら、私が聞いてあげる。泣き方がわからないなら、私が泣かせてあげる___
あのときは必死だった。
目の前の立派な大人が、私に縋るようにつぶやいた言葉は、私が頼られていると錯覚させるには十分で。
学校で引っ込み思案というレッテルを貼られるくらいの私が、あのとき初めて自分から動いた。
___やり方がわからないなら、私が全部おしえてあげる。だから、今日から私が、お兄さんの先生、ね___
あなたがわからないという伝え方も、忘れてしまった泣き方も、あなたがなくさざるを得なかったいろんな感情を。
私が、あなたに教えてあげるんだ。
そして、私はその日から、年の離れたお兄さんに様々なことを教える先生になって。
初めて見つけた王子様は、そうやって私の生徒になった。
「今日はなにを教えてくれるんですか、先生」
あの日から、お兄さんとは不定期に出会う。
きらきらと輝かせる髪も、褐色の肌も、初対面の時と変わらないまま。
場所は初めてあったときと同じこの公園だけだけれど、時間帯も、次に会うまでの期間も、ばらばらで。
突然現れてお兄さんは私に話しかけてくる。
短ければ一週間、長ければ数ヶ月単位で会わないこともあって。
それでも、いつだって私はお兄さんを待っていた。
私がその公園に行かない日に、私を求めた彼がその場所に現れることをおそれるように。
彼が会いたがるのはいつだって、どこかつらそうで、悲しそうで、痛みを抱えているときだと。
気がつけたのは何回目か、両手の平じゃ足りないくらいの回数を重ねたとき。
だからこそ、一人で待ち続けるかもしれない彼を、放っておきたくはなかった。
「そうですね、今日は、もっときれいな笑い方を教えましょうか」
はじめの頃は、呆然とした無表情を浮かべていることが多かったお兄さんはいつの間にか下手な笑顔を身につけたようで。
私の言葉ににっこりと笑顔を深めた。
「笑ってますよ?僕」
僕だったり俺だったりお兄さんは会う度に一人称が変わる。
同時に、話し方も。
僕、の時は、素朴な近所のお兄さんのようにうさんくさい笑顔を浮かべて。
俺、の時は、どこかミステリアスな雰囲気を纏った怖い人のように笑って。
そのどれもに、鼓動が早くなるようになったのは、いつからなのか。
気づいたときにはもう、そうなっていた。
「目の奥、ぜんぜん楽しそうじゃないのに?」
そう言えばゆるゆると彼の眉は垂れ下がっていって。
ああ、今日の感情は”寂しい”か
はがした笑顔の先、彼の持つ本当の感情が見えてくる。
原因は、知らない。
知ってはいけないのだろう、とも思っている。
___聞いてしまった瞬間、この曖昧な関係は、あっけなく壊れていくだろうことも、わかっていて。
この関係を壊すことをおそれる私が、確かにいる。
「いいんですよ、笑いたくないのに笑わなくても。」
ベンチに座ったままの彼の横に腰掛けて。
笑みをなくした彼の手をそっととる。
堅くて冷たいその手を、ゆっくりとほぐしていけば、彼の体全体にかかっていた緊張もゆっくりと落ち着いていって。
「ああ、楽しいなって、うれしいなって。そう思えたときに笑顔は勝手に浮かぶものです」
お兄さんとの接触によって、私は周りから見てとても取っつきやすくなったらしい。
あまり感情を表に出さない子だと言われていたけれど、よく笑うようになった、と。
それはこの人のおかげ。
会えるだけでうれしくて頬がゆるむ。
触れるだけで心臓が激しく音を立てる。
そばにいるだけで感情が満たされていく。
全部全部、この人が私にくれた感情。
先生として、私がお兄さんに教えるはずだったもの以上に、お兄さんはたくさんのものを私に教えてくれた。
私が彼に向けるように、彼の感情が私に向けば。
思ったことは一度だけではないけれど。
それでも、私はまだ年下の先生でしかないから。
「なら、先生のそばにいれば、僕は自然に笑えるようになりますね」
先程とは違い、目を細めた柔らかな表情。
向けられるそんな言葉にだって、喜びはわき上がる。
心が浮き立つ。
うぬぼれそうに、なる
「私が、”先生”である私がお兄さんにまだ教えられることがたくさんあるなら、それは本当にうれしいですね。」
ごまかすように言葉を重ねて
自分よりもずっと大きな手を優しくなで続けていれば、ぽつり、言葉が落とされる。
「___ねえ、先生___」
撫でていた手のひらをそっとはずされて不安そうな響きが広がる。
逆にぎゅう、と捕まれた。
「なんですか」
すっぽりと入る自分の手の大きさに、やっぱり大人には程遠いと実感する。
「___ぼくを、おいていったりしないですよね?」
また、一人称が惑う。
今日はどうやらいつも以上に不安定なようで
「おいていきたくは、ないですね」
おいていかない、だなんて約束できるほど大人ではないから、曖昧にごまかすことしかできない。
それでも、それでも、こんな貴方を一人おいていってしまうわけには行かないと、そう思ってもいるわけで。
「普通に考えれば、お兄さんが私をおいていく方でしょうに」
「___っ」
返ってこない返事。
見上げた先には耐えるように揺れる瞳。
ああ、本当にこの人は___うそをつけない人だなぁ。
その場しのぎの言葉なんてそこらじゅうに転がっているというのに。
それでも優しいこの人は、今現在私にたくさんの隠し事をする人は、決してこれ以上の嘘を重ねようとはしない。
ずるい大人に、なってくれたらいいのに。
そうすれば私も、子供の立場を使ってあなたを縛り付けるのに。
触れたままの手
節々に感じる硬さは、この人のがんばっている証で、証拠で
それに触れているということだけで早くなる鼓動。
大人なのに、子供のように見えるこの人をおいていきたくない理由。
その意味を、私はわかっているけれど。
初めてあったときはランドセルを背負っていた私も今ではスクール鞄にシフトチェンジ。
月日は均等に日を重ねているというのに、なぜか目の前のこの人は年を取っているようには見えない。
そう、月日は重ねられているのだ。
自分を先生と呼ばせた幼子は、もういない。
ただ待ち続けることしかできなかった幼い自分では、ない。
手を握られたまま、宝石みたいな瞳をのぞき込む。
その瞳に映る自分はどこか緊張して見えて。
「お兄さんに」
話し出した私の言葉を聞き漏らさぬように、彼はしっかりと私を見つめ返す。
また鼓動が早くなった。
「次会うときにまでに、一つ宿題をわたします」
「___何ですか、先生」
”次”の約束。
今まで決して求めなかった未来への希望。
いつだって、これが最後かもしれないと、手を振って分かれる度に怖くて。
けれど、次の約束をできるほどに強くはなれなくて。
だからこそ、初めての約束。
震えるな、声よ、からだよ。
今、大事な話をするんだから。
「私が貴方に向ける感情を、貴方が私に向けてほしいと思っている感情を、考えてきてください」
これはエゴ
あなたが私に求めるものが、親愛だったり、友愛だったり。
そういうものであるならば、私は貴方の望むように演じよう。
でも、もしも___もしも貴方が私に求めるものが、甘ったるい「こい」だとか「あい」だとか言う感情であったのならば、もう、遠慮するつもりは、ない。
貴方が私の求める答えをくれたならば、今度こそ私の王子様に、たいへんよくできました、そう言って飛びついてやるのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
いつだって、俺は置いて行かれる側で。
いつだって、俺は見送る側で。
もう嫌だ。
もうつらい。
そう思うのに
そのたびに記憶の中の奴らに、おまえは生きろと背中を押される。
嫌だよ、おまえ達のいない世界で、年を重ねていくのは。
痛みを打ち明ける相手も、誰も存在しなくなっていくこの世界で。
俺は、いったいこれからどうやって生きていけばいい___?
「お兄さん、どこが痛いの?」
同期が、友が失われていく痛みに苛まれながら、呆然と見上げていた夕焼け空。
子供らの帰った公園で一人立ち尽くす俺に、突如かけられた声。
何処か痛いの、ではなく、どこが痛いの、と。
痛みを抱えているのを前提で話しかけてきたその声に、ゆっくりと視線を向けた。
「お兄さん、痛いときに我慢しちゃだめなんだよ」
そう言いながら俺を見上げてくるのは小さな少女。
まだランドセルが傷つききってはいない、幼い子供。
そんな子供が、大きな丸い目でまっすぐに俺を見上げてそう言ったんだ。
「痛いときは、痛いって言ってもいいんだよ」
痛いって、今まで伝えていた相手が、消えてしまったというのに、誰に話せばいいんだ?
「痛いって、言い方がわからないんだ___言う相手が、もう、いないんだ」
今思えばバカだったと思う。
俺の半分も生きてないような子供に、そんな言葉を言うなんて。
「泣き方なんて、忘れてしまった」
俺の頬に伸ばされた手のひらは小さく。
それでも確かな温もりをくれて。
「じゃあ、私がおしえてあげる。痛いって言い方がわからないなら、私がおしえる。お兄さんにお話しできる相手がいないんだったら、私が聞いてあげる。泣き方がわからないなら、私が泣かせてあげる」
全身で、この子はアピールする。
ここにいるよ、と。
私が居るよ、と。
まっすぐに、「俺」を見て。
ここに俺が居ることを証明するかのように、小さなその手で俺に世界を示したんだ。
「やり方がわからないなら、私が全部おしえてあげる。だから、今日から私が、お兄さんの先生、ね」
先生
この年になって、この名称を使われるではなく、自分から使うとは思っていなかった。
ぼろりと落ちた滴に、子供は驚いたけれど、必死に慰めようと撫でてくれて。
小さなふくよかな温もりに、縋るものを失った俺に、この子供の存在が大きなものになるまで時間はかからず。
いまだに思う。
あのときの俺は本当にバカだった、と。
それでも同時にあのときの俺によくこの子を逃がさなかったと誉めてやりたくもなるんだ。
俺にとっての先生は、根気強く俺にいろんなことを教えてくれた。
___しんどいときに無理して笑っちゃだめ___
俺の目をまっすぐに見ながら、あまり笑わない先生はそう言って
___痛いなっていう気持ちをずっと閉じこめちゃうと心が病気になっちゃうんだよ___
俺の心臓に手を当てて、俺の音を聞きながら
___嫌なことは嫌って、はっきり言わないと精神衛生上よくないよ___
ふくふくとした紅葉のようだった手は、いつしか陶器のようなきめ細やかな女性らしいものに。
___本当に、お兄さんは泣くのが下手だね___
短かった黒髪は、腰に届くような長さまでのばされて、風にあおられ香りを漂わせて。
___お兄さん、ねえなんでそんなにたくさん怪我してるの?___
子供特有の声は、気がついたときには耳に馴染む穏やかな声に
___危ないこと、しないでほしい___って思ってるけど、無理なのも知ってるから。でも、自分をないがしろにしないで___
組織に潜入するからと、距離をとろうとしたこともあった。
けれど___どうしても、このつながりだけは切れなくて。
だめだとわかっていた。
任務の妨げになると知っていた。
仕事のことどころか、自分の名前すら俺は彼女に告げていない。
一方的に俺が知っているだけで。
彼女には、先生には、俺の何を教えることもしていない。
だからこそ、俺が離れてしまえば、それまでで。
俺が手を離してしまえば、すべては終わる。
それがわかっていたからこそ、俺はこの優しい手を離せなかった。
俺は、この少女から離れられないほどに依存してしまっていて。
その感情は、一回り以上も離れた子供に向けてはいい感情ではなくなってしまっていて。
距離を取らねば。
そう思えば思うほど、彼女は麻薬のように俺に入り込み。
いまならばまだ離れてやれる。
そう思い直す度に、本当に?と自問自答するばかりで
そして想いは、簡単に、振り切れた___
潜入捜査中に、大事な友が、失われて。
疑われて、疑って、ぼろぼろな状態で。
俺は誰なのか。
降谷零
安室透
バーボン
どこへ行っても異なる名前で呼ばれ、異なる対応を求められ。
限界の精神の中、出会った先生は、いつもと同じように、どの俺に対しても、等しく俺を、扱った。
おいていかないでほしい
子供のようで大人に近づいている少女に、こんなことを言うつもりはなかった、
だと、いうのに。
「おいていきたくは、ないですね」
おいていかない、でも、おいていくでもない。
彼女の望み。
こんな俺を放ってはおかないと、そういうように。
「普通に考えれば、お兄さんが私をおいていく方でしょうに」
___おいてかない___
そう言えればどんなによかっただろうか。
そんな無責任な言葉を、発することができない自分が嫌になる。
俺は、他のなにをおいても、君だけはおいていきたくはない。
それこそ、できることならこの命費えるとき、共に連れて行きたいくらいには。
でも、それを伝える権利を、俺は持っていない。
触れられたままの手
俺のものではない温もりは、ここにいるのが、俺だと、一人の人間だと知らしめるように。
彼女が、俺を、おいていきたくないとそう思ってくれるその理由が
もしも俺と同じものなのだとしたら
初めてあったときはランドセルを背負っていた彼女は、ついぞスクールバックを肩にかける年齢に。
月日は均等に日を重ねているというのに、なぜか目の前の彼女は俺よりもずっと早く成長しているようで。
そう、月日は重ねられているのだ。
幼子が、一人の女性に変わるほどに。
俺が想いを寄せる相手に、なってしまった。
「次会うときにまでに、一つ宿題を出しましょう」
突然の言葉。
次に会うとき
それは、いままでしたこともない、未来への約束。
「___何ですか、先生」
どくりと心臓が鳴った。
もしかして、もしかして。
そんな甘い願いが心臓を掴む。
「私が貴方に向ける感情を、貴方が私に向けてほしいと思っている感情を考えてきてください」
あまやかな表情で、穏やかな声で、俺の小さな先生は俺に未来への約束と、一つの宿題を出したんだ。
※※※
茜色が闇に塗り替えられる狭間の時間。
子供らの姿はとうに消え、静かなその公園。
一人の人影がベンチに座っていた。
新たに現れた人影はそれを見て動きを止めて。
そんな彼女にベンチの男は立ち上がる。
今まで見せたこともない穏やかな表情で。
「先生、おまたせしました」
ゆったりともたらされた呼称に、女性の体が震えた。
「おにいさん」
震える口からこぼれたそれに、彼は本当にうれしそうに微笑んで。
「あの時の宿題の答え合わせをしてもらえますか?」
近づいていく男性に彼女は動くことはできぬまま。
ただゆっくりと頷いた。
「先生。」
伸ばされた褐色の腕。
女性の頬にそっと触れた掌
「あなたが俺に向けるその感情が」
両手で包みこまれた頬の中。
瞬いた瞳の奥煌く滴が眦に光る。
「いずれ愛に変わる恋であってほしい」
ふにゃり、笑った表情は今にも泣き出しそうになりながら
「たいへん、よく、できました」
そうのたまった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ありがとうございました。
由貴様夢企画「threeping」『せんせい』『こい』『たいへんよくできました』
降谷さんに感情を教えようとする幼女とそんな彼女を手放せなくなる降谷さんのお話。
ぼろぼろなときの降谷さんを支える幼女が年を経て、降谷さんの大事な存在の一つになってくれればいいな、というだけの物語でした。