終わりは俺が与えよう
とおくで
ちかくで
こどものなきごえが、きこえる
真っ白い、なにもない箱のような部屋の中。
鈍く反響しながら、響く泣き声。
いつだって、近づこうとしても近づけないそれは、私がじっとしていれば向こうから寄ってきて。
今回も、そう。
「___また君か」
しゃくりあげながら現れたのは小さな影。
薄い色素の髪に、褐色の肌、整った容姿。
その瞳も綺麗な色をしているのを知っているけれど、私が会うこの子はいつだって泣いているから、まるで兎の眼のようで。
ひくひくと声をこらえながらなく様は、子供らしくなく。
もっと大声で泣き叫べばいいのに、と思わずにはいられない
「ほら、おいで」
一定の距離から近づこうとしなかった少年に声をかけて腕を差し出してやれば、ゆっくりとそれは近づいてきて。
いつだって控えめに私の服の裾を握る。
素直に甘えればいいものを、それをしない少年は、甘えることをおそれるようで。
ぐ、とその腕の下に手を差し入れて抱き上げれば、ようやっとその腕は私の首に回る。
「また大きくなったな」
初め出会った時はもっと小さかった。
小学校低学年くらいだったろうか。
声をかければ一歩一歩近づいてくるその小さな子供に心揺らさずにはいられなくて。
いつからか、見るようになった夢。
場所はいつだって同じ白い箱のような部屋。
登場人物は、私と子供の二人だけ。
内容はいつだって同じ。
泣く子供を見守る夢。
甘え方を知らない、不器用な子供の夢。
その子供が一通り泣いて、眠りにつけばこの夢は終わる。
ふわりと意識が浮上するようにその子供は消え失せて。
この夢はいつだって、唐突に現れては唐突に消えていくのだ。
俺が泣きたいとき、泣けないとき
いつだってその夢はすぐそばにあった
白い箱のような部屋の中、閉じこめていた気持ちを吐き出せる唯一の空間。
そこにあるのは、いつだって優しく、そして悲しく笑う1人の女性。
少しずつ成長していく俺と違い、あまり姿形の変わらないその人は柔らかな音を部屋に響かせる。
おいで、と呼ばれているのは俺のはずなのに、まるで来てほしいと願うかのような声色で。
俺をあやすように触れる温もりは、時折縋りつかれているようにも思えて。
だというのに、その暖かさを享受すれば、俺は今誰よりも安全なところにいるのだと錯覚させるような、そんな空気を彼女は持っていた。
たった一つ、俺が素直に泣ける場所。
たった一つ、俺が素直になれる場所。
ゆらりゆらり、俺を抱えたまま彼女は体をゆすって。
揺り籠のようなその空間は、ただ心地よく。
沢山泣けばいい、その言葉は俺の中の砦をいとも簡単に壊す。
自分の中の澱みを流しだすかのように。
泣けない彼女の代わりに、涙をこぼす。
決して泣かない彼女は、俺を温かく包み込むけれども、本当に欲しいものはくれなくて。
俺では、足りないのだと、俺の前では泣くことができないのだと、そう言われているようで、悔しくて。
だから、決めていたんだ。
俺が成長して
いつしか彼女を追い抜かせたならば。
そのときは、
その時は、今まで俺がしてもらったようにその体を抱きしめて___
目覚めたとき、その温もりはどこにもなく。
いつだって俺は虚無感にさいなまれるんだ。
「おや、さらに大きくなったな」
幾度目かの真っ白い部屋の中。
そこにいたのは、もう子供ではなく。
色素の薄い髪はそのまま、褐色の肌もつ少年はいつの間にか大きくなって。
瞳を揺らしながらも相変わらず一歩踏み出すことのできない青年。
それでも、居心地が悪そうにたつ様子はどう見てもあの子供そのもので。
「ほら、おいで」
両手を広げて呼べば、ゆらり、その体が揺れた。
そうして、近づいてきたその体をぎゅう、と抱きしめてやる
まだ、私の腕で囲めるほどの大きさ。
けれど、もう少しすればそれすら難しくなるだろう。
「君はよく泣くなぁ」
私の言葉に、青年はぐっと息を詰める。
言われたことがない言葉なのだろうか。
青年は、こらえるようにして私の首もとに顔を埋めたまま。
さらさらの髪が首もとに触れてくすぐったい。
「___」
何か、青年が耳元でつぶやいた気がするけれど、声は聞こえなかった。
そう言えば、私はこの子がちゃんと話すのを聞いたことがない気がする。
よく泣き声は聴いているけれど。
そうっと、距離がとられた。
泣き落ちない彼は初めてで、その蒼い瞳をまっすぐに見つめる。
あわされた掌。
いつのまに、この子はこんなに大きくなったのだろうか。
驚きで見つめ返せば宝石みたいに綺麗な瞳。
「___」
何かを話している青年。
だというのに、その言葉が、わからない。
これは、困った。
思わず首を傾ければ、彼はしょんぼりとうなだれるように肩を落とした。
なんだか非常に申し訳がない。
けれど彼はもう一度私をまっすぐにみて、口を、開いた。
「 まっ て て 」
確かに彼の口はそう動いて___
気がつけば、そこは、真っ白い部屋ではなく自分の部屋で。
先ほどまで目の前にあった温もりは消え失せて。
あの青年が伝えたかったであろう言葉を聞くことができないまま___また、朝を迎えた。
真っ白い部屋。
いつもと変わらぬ彼女の姿。
ゆるりと鮮やかな瞳を俺に向けて、ふわりと、いつもと同じように寂しそうに笑った。
おいで、の言葉。
何度きいても、俺はその言葉に逆らえはしなくて。
暖かな温もり。
俺にはない柔らかさ。
穏やかな空気に、全てを預けるように彼女に触れた。
「君はよく泣くなぁ」
言われ慣れない言葉に、思わず息をつく。
ほたり、ほたりと頬を流れる滴。
そんなことはない。
俺が泣くのは、あなたが、泣かないからだと。
そう伝えたいけれど、彼女の前で泣いてばかりの俺では、説得力もなにもないわけで。
「あなたが、泣かないから___」
言葉を、つぶやいたけれど、目の前の彼女は困ったように首を傾けた。
そういえば、俺の言葉はいつだって彼女に届いたことはなかったように思う。
もうすこし。
まだ、その体を抱きしめるには俺は小さくて。
まだ、その体を包み込めるほどには成長していない。
けれど、確実に、俺は彼女に近づいている。
そっと掌をあわせれば、それは思っていた以上に小さくて。
「まってて」
空気に乗せた言葉は、彼女に届くことはなく。
それでも、触れた掌を握ってもう一度伝える。
言葉は、やっぱり彼女に届くことなく地面に落ちて。
俺の言葉に困ったように笑った彼女を最後に___
あのときから、彼女の夢を、みれなくなった。
そこは、いつもと同じ…部屋ではなく。
何もない白い箱のような部屋だったはずのその場所は、どんよりとした空気を醸し出す薄暗い部屋に。
障害物だらけのその場所に求める姿は見つからず。
いつもであれば、小さく肩を振るわせる彼が、近寄ってくるはずなのに、その姿は影も見えず。
心臓がざわりと音を立てた。
まさか___
嫌な予感だけが浮かび上がる
いつもなら、あの子が現れるのを待つというのに、そんな悠長なことをしてられなくて。
足が急く。
障害物だらけのその部屋で、あの子の姿を探し求めて
そして___
「見つけた…」
幾度かの障害物を超えた先。
求めていたあの子の後姿。
記憶にあるよりもずっと大きくなったその背中。
それでも、薄い色素の髪はあの子のもので。
ざり
足を一歩踏み出した瞬間、目の前の影が大きくぶれて。
「っ、」
視界がぐるり回った。
そしてすぐ後に、体を打ち付けるような衝撃。
上から押さえつけるかのような圧迫感。
ひゅ、と空気が口から漏れて、痛みに息を詰める。
「、あ」
衝撃をそのままに微かな声とともに突如消える圧迫感。
痛む体のまま、閉じていた目を開ければ、大きく目を見開く、あの子の___大きく成長した、彼の姿。
体中ボロボロで、よれよれで、けれど瞳だけは変わらず美しい宝石のようで
「、」
何かを話すように口を開閉する彼に、そっと手を伸ばす
あの頃と変わらない、苦しくて悲しくて、どうしようもなく泣きたいときの表情を浮かべるものだから。
「…おいで」
私の言葉に彼は許しを請うように、私の手を包みこんで。
まるで祈るように額にかかげて。
微かに響く嗚咽。
あの頃とは違う、すべてを押し殺すかのような泣き方。
ああ、ちがう、こんな風に泣いてほしくは、ない。
「___」
そして、気づく。
私は呼びかけるための名前すら知らないのだと。
空いている方の手を伸ばして、その柔らかな髪に触れて。
そっと、笑った。
「泣いて、いいよ」
間の前の、宝石が、ぐらり、揺れて。
ぐ、と強い力で引き寄せられた。
瞬間、慟哭。
あたり一面に響き渡るかのような大きな声で。
泣くというよりも、叫ぶかのように。
彼は感情すべてを溢れさせるように、声を張り上げた。
彼の言葉は何一つ言葉として耳に届かないのに、ただただ、その痛みが私の体にも染み渡るように。
ああ知っている、この泣き方を。
その感情の向く先を。
おいてかないで、ひとりにしないで
だってそれは私がずっと持っている感情だから。
彼の腕が、私の体に回って、痛いくらいに締め付けられる。
それはまるで、自分の姿を、みているようで
感情のままのそれはただただ胸に響く。
その体を抱きしめようと、手を彼の体にまわして___
忽然とそのぬくもりは、消え失せたんだ。
夢を見なくなって、どれくらいたったのか。
俺はその間にいくつもの別れを繰り返した。
その度に彼女を思い出すけれどもあの夢は一向に現れてはくれなくて。
だから、もう会えないものだと決めつけていた。
だからこそ、信じられなかったんだ。
潜入した組織の中で、大事な友を喪ったあの後に。
他の誰でもない彼女が現れるなんて。
喪ったものが大きすぎて、コントロールのきかない体を持て余して。
あの状態で現れるのは敵以外に考えられなくて。
振り向きざまにその体を地面にたたきつければ、そこにあったのは夢の中の彼女。
痛みから洩らされた声に、体が震えた。
こんな場所で出会ってしまったことよりも、
彼女にもう一度会えたことが何よりも勝って。
「おいで」
その声に導かれるまま、その手に触れた。。
いつのまにか、とっくに追い抜いたその小さな手を。
許しを請うかのように掲げて。
穏やかな声が、柔らかな体が、歪な笑顔が
それらすべてが、彼女だと示すように
「泣いても、いいよ」
すべてを許すかのように、あなたが笑うから。
その体に手をまわして、腕の中に閉じ込めた。
夢だったはずの彼女を抱きしめた瞬間
箍が外れたように感情があふれた。
おいていかれるのは、もういやだと。
心臓が引き裂かれる様なその痛みは、もう十分だと。
ただ、ただ叫んだ。
それこそ子供のように、ただその身体に縋った。
本当ならば俺が彼女を甘やかすはずだったのに。
やっぱり俺は甘やかされる側で。
かすかに身じろいだ小さな体は、俺に手を回そうと___
腕の中にあったはずのぬくもりはあっけなく姿をけした。
私のそばにいるひとは、いつだって簡単に消えてしまう。
両親も、祖父母も、友も。
いつしか、親しい相手を作らなければいいと、そういう結論にいたって。
そんな私が、唯一会い続けている存在が___私のそばからいなくならない唯一の子が、あの子だったのかもしれない。
そうして、気づく。
あの子が現れなくなった意味を。
ああ、やっぱり、私が親しみを感じてしまったから、だから
だから、彼は、彼もまた、私の前から消えてしまったのだろう。
わたしのせいで
たどり着いた考えが間違っていないように思えて。
さあ、っと、全身から血の気が引いた。
ああ、どうしよう、あの子も、彼も、私のせいでいなくなってしまったのだろう。
あの幼かった子供が成長していく様を、ただ見守りたいと願っただけなのに。
泣ける場所でありたいと思っただけだったのに。
あの子の支えであれれば、だなんて欲張ったことを考えたから。
あの子も、私のせいで、いなくなった。
体中が、震える。
なんてことをしてしまったのかと。
私がそばに行かなければ、よらなければ、あの子を抱きしめなければ、
浮かぶのは後悔ばかり。
くらいあの部屋で縋ってきたあの子を、___抱きしめずにはいられなかったけれど。
焦燥感が体を駆けめぐって。
否、もしかしたら、そんなことはないかもしれない。
ただ、あの子が泣くような事態に陥っていないだけかもしれない。
それは喜ばしい出来事の、はずなのに。
それは、喜ぶべき事柄のはず、なのに。
___もう一度、あの子に会いたい
___もうあの子に会うべきではない。
___もう一度あの子を抱きしめて慰めたい
___もう二度とあの子に関わるべきではない。
相反する意識が、思考がせめぎ合う。
それよりも先に、あの子にもう会うことができない、という可能性を排除する自分に吐き気がする
それでよいのだと、これが最善だと。
そう言えるような、おとなになれないままの自分が嫌いで、いやで、いっそのこと、これ以上彼に、誰かに害をなす人間にしかなれないのならば
いっそのこと___
「みつけた」
響いた音。
それが誰のものなのか、認識するよりも先。
体が自然とそちらをむいた。
その人物を認識するよりも前に、私の体は温もりに包まれて。
あの白い空間じゃない、いつもと変わらない、私の、世界で。
そこにあったのは、私にぬくもりをくれているのは、夢の中と同じ色彩をかたどる人物で。
最後に見た時よりも、ずっとずっと大きくなった、あの子がそこに、私のそばに、いた。
「どう、して」
つぶやいた声に彼は微かに息を吐く。
「ずっと探してました」
低い声。
あの泣き声は、いつしか青年から男性のものに
「あの夢の後」
少しだけ早い鼓動の音。
それはいつしか私のものと重なって
「あなたの存在を探して、求めて、さまよって」
感じる温もり
決して夢ではないと訴えるような
「ようやっと、見つけました」
ゆっくりと距離をとられて、至近距離で見つめるその瞳。
宝石のように綺麗なそれがまっすぐに私を見つめて、柔らかく光を反射した。
「やっと、あなたにいえる」
微かにほほえむ表情。
ああ、この子はこんな風に笑うのか
「もう、ないていいんです」
なんて優しい言葉で私を許すだろう
ぼたり
年甲斐もなくみっともなく滴が落ちる。
この子が生きている。
ただ、それだけがうれしくて。
本当は、わかってた。
この子を甘やかしたかった、だなんてうそだって。
「ひとりは、も、やだ」
だって、はじめ、あのときは___この子と初めて出会ったときは、両親が、なくなった日で
「みんな、に、おいてかれるの、も、やだ」
祖父母が、いなくなった、ひで___
「ごめんねって、ききたくないぃ」
___友が失われた日で
「お葬式、のほうほう、とかっ」
ああ、そうだ、この子が現れる日はいつだって、
「香典、かえしかた、とかっ」
彼が泣きたい日じゃない___
「そんなっ、ばっか、おぼえてくのっ」
私が泣けない日だ___
「もっと、あとに、しりたかったのに」
1人で泣けない日に限って、
「みおくる、ほうほうだけっ」
泣き疲れてどうしようもない日に限って
「しってくの!!」
虚無感にさいなまれるだけの日に限って
「ひとり、のこされるならっ」
この子は、現れてくれた
「ぜんぶ、おしつけられる、なら」
わたしのかわりに、ぜんぶぜんぶ、感情をぶちまけるみたいに
「どうせならっ」
ひとりに、しないで
その願いをおしつけるみたいに
「いっしょ、つれてっ」
わたしのぶんも、ないてくれた
世界が滲む
おねがい、
おねがいだから
もう、
もう、
「おいてかないで」
おいていくくらいなら、
おねがい
いっしょにつれていって
おいていきたくない
浮かぶその感情は確かで。
けれど、自分の職業柄それが約束できないことだというのもわかっていて。
おいてかないで
そう言って泣き叫ぶ彼女が、ただただ、幼い頃の自分とかぶる。
先に旅立っていく彼女を、彼らを、見送ることしかできなかった幼き頃。
自分に力がないからと、必死で自分を奮い立たせて、前を向こうと努力したあのとき。
あのときの俺にとって、この目の前の彼女の存在がどんなに支えになったのか、彼女は知らない
俺には彼女がいたから、あの場所で泣けたけれど___
彼女にとっては、俺は、泣ける場所ではなくて。
最後に彼女を抱きしめたのは、組織に潜入捜査をしていたとき。
暗い倉庫で、会うはずのない場所で、彼女は俺の前に現れては。
ただ、縋った。
大人気もなく、その小さな体に、ぬくもりに。
小さくなった。
あのころ俺を包み込むほど大きかった彼女は、いつしか俺に包めるほどの小ささに。
俺の手を包み込んでいた掌は、すっぽりと俺の手に収まるほどに。
痛みをそのままに、ただ嘆く彼女
おいていくくらいならば、いっそ、いっそのこと___
その思考回路も、至る答えも、簡単に推測できて
「約束はできません、でも___」
約束はできない。
それでも、誓おう。
君が望むのならば、
おいていかなかいでとなくのならば
「あなたが1人になるときがくれば」
俺の体にすっぽりと入るくらいの小ささ
俺と同じ傷を抱く、君に
「そのときは必ず僕が___俺があなたを連れていくから」
そのときがきたら___
「まってろ」
おいてはいかないから
俺に泣き場所をくれたあなただからこそ、俺からは最後の刻を___
いつの間にか大きくなった彼は、私に最後をくれる約束を、してくれた