文次郎
「先輩」
その低い声は私の鼓膜を震わせて脳まで浸透する。
彼は幼なじみである仙ちゃんが初めて連れてきた友人。
幼なじみである私が言うのも何だがあの偏屈な彼の友人とは何て可哀想な人なん
だろうか。
「先輩」
再び響いた声にようやく意識を彼に向ける。
「なあに?文ちゃん」
「…その呼び方はやめてください。」
問えば疲れたように帰ってきた返事。にこにこと笑って返せば今度は溜息。
「そういえば何か用事?」
呼ばれたということは何か用事があったのだろう。再び問い掛ければ一つ頷く。
「仙蔵が委員会が長引くらしいので今日は帰りを待たないでさっさと帰ってくだ
さい、とのことです。」
仙ちゃんの言付けを持ってきた、というよりもパシられたのであろう文ちゃんは
再び溜息。
「わかったよ〜」
私の返事を聞き届けて文ちゃんは頷く。
「最近変なやつ多いですから気を付けてくださいね。」
そういって後ろ手にひらりと手を振って去っていった。
文ちゃんがパシりに来たのは昼のこと。時は流れてもう放課後。仙ちゃんと帰る
のは日常に組み込まれていたことなのでいないのは変な感じだ。
一人でほてほてとあるいていれば寄り道したい気分になって帰り道から少し離れ
たところにある本屋に行くことにした。
「うわあ、暗い…」
少しだけ、のつもりだったのにいつのまにか日は暮れて辺りは暗い。
仙ちゃんにバレルと怒られるなあ、と思いながら家に向かってあるきだす。まわ
りには人気はなく虫の声だけが響く。
晩ご飯は何かな〜そんなことを考えながら歩いていればひたり、後ろから何かの
足音。始めは気にしてなかったけどそれはずっと後ろをついてきて。
ぞくり
背筋が震えた。
心なし足を速める。
後ろの足音も早まる。
こわい
そんな感情が溢れる。
怖くてたまらなくなって、思い切り地面を踏みしめ駆け出す。
同時に後ろの誰かも駆け出して。
こわい
こわい
こわい
怖いよ、仙ちゃん
っ、助けて文次郎っ!
はしり
掴まれた腕
恐怖から溢れた涙が視界を濁らせて。
「やっ、やだやだやだ、こわっ、っ、」
振りほどくように腕を振って逃げるように体を動かす。
でも手は離れることなくて
「っ、仙ちゃ、っ助けて、文次郎っ、」
「先輩」
ふわり腕が体の前に回る。
怖いはずのそれは温かな温もりに包まれて
知ってるにおいに
知ってる声に
思考能力が低下していた脳がたったひとつの結論を導き出す。
文ちゃんだ
へちょり
力が抜けた。
文ちゃんだ
文ちゃんだ
文次郎、だ
「っ、文、じろう・・・」
「なんでこんな時間なのにまだ家に帰ってないんですか!」
怒るように言われて体が震える。
「っ、すみません」
それに気づいたように慌てて謝られて。
「大丈夫ですか?先輩」
心配そうに覗き込んでくる顔にぼろり涙が再び溢れた。
「わ、ちょ、先輩、」
「こわかっ、た…」
「先輩」
「いきなり、後ろから足音するし、」
「先輩を見つけたもので・・・」
「走ったらおんなじように走るし、」
「いきなり走り出したから思わず・・・」
「うえ、怖かったんだからね!?」
「ええと、ああもう!」
まわされた腕がぐるりと私を方向転換させて。
目の前には文ちゃんの制服。
「文、ちゃん?」
「その呼び方はやめてください、先輩。」
ぎゅう、とされたそれがあんまりにもあったかくて思わず笑顔になった。
「先輩。こんな暗い道を一人で歩かないでください。俺を呼んでくれたらすぐに行きますから。」
顔は見えないけど声だけで照れてるのがわかって。
「うん、ごめんなさい。これからはちゃんと呼びます。・・・文次郎」
くすり笑ったのがわかったのかさらに腕の力が強くなった。
と、げしり
辺りに響いた音とともに目の前の文次郎の体がかしぐ。
さらにはくいと腕を引っ張られて。
「おい文次郎。貴様一体に何をしている。」
仙ちゃんのそんな声が聞こえてきてなんだか笑わずには居られなかった。
※※※
王道ネタ。
とりあえず文次郎に先輩とよばせたかった。