ドリーム小説
深い闇に覆われた夜だった。
常であれば照らし出してくれる月も、雲の中その身を惜しむように引きこもって。
静寂が支配する世界だった。
皆が寝静まり、まるで自分一人だけが取り残されてしまったかのように錯覚するような。
体は疲れていると訴えるのに、頭はそれに反抗するかのように眠気を蹴散らす。
眠らなければ、次の日の朝困るのは自分なのに。
ぼんやりとする思考の中、遠い朝を思ってため息をこぼす。
やはり、夢の世界への壁は高いようで。
眠りにつくのをあきらめて、ゆるり、体を布団から起こす。
暗い、自分の部屋とされるその場所で膝を抱えて顔を埋めた。
と、
かたり
静寂の中、研ぎすまされた聴覚が小さな物音を拾った。
「・・・?」
それは錯覚かと思うほど小さな音。
それでも、確かめてみようと思うほどには気になる音で。
そっと襖に近づき、開ければ、廊下の先に一つのシルエット
月明かりのない夜には、それが誰だかわからなくて。
「__起こしてしまったか?」
襖を開けた音に気がついたのか、そのシルエットがゆるりと振り返る。
周りにいる人の眠りを妨げぬように配慮されたその声色。
「いえ、少し、眠れなかったんです」
彼の問いに笑って答えれば、その人もかすかに笑って見せて。
「では、少しつきあわないか?」
ちゃぽん
彼、斉藤一さんは、もっていた酒瓶を持ち上げてそう言った。
相変わらず月は隠れたまま。
池に面した縁側に二人で腰掛けて。
台所から拝借してきたお猪口を手に、二人でお酒を酌み交わす。
初めて口にしたそれは、あまりおいしいとは感じない・・・はずなのに。
隣の存在が、あることで
温もりを、感じることで
今まで飲んできたどんなものよりも、おいしい、そう錯覚した。
ちらり、横を見れば、そっと口元にお猪口を傾ける姿。
いつもは隠れている首元がちらりと覗く。
さらりと流れる黒髪が艶やかで、思わず、見とれた。
常とは違うそれらの少しだけ緩い格好はその人が今まで眠っていたことを示していて。
視線を感じたのか、一さんはお猪口を傾けたまま、ゆるり、こちらを見やる。
お酒のせいだろう。
目元が微かに赤らんで。
そして、それがわかる距離にいることに、急速に心臓が音を立てた。
「どうした」
お酒から口を離して、そうして漏らされた声。
微かに掠れたそれが、直接に私に落とされる。
塗れた唇が色っぽすぎて、呼吸が止まりそう。
何でもない、とはいえないほど、彼を見つめ続けてしまったわけで。
「・・・きれい、だな、と」
闇に溶けそうな黒髪だとか
男の人らしいがっしりとした手とか
低く耳朶に響く声とか
少し鋭い、でも、優しい瞳とか
とても、綺麗な人だな、と
お酒のせいもあるのだろう。
あっさりと口からこぼれ出た言葉。
それに対して、一さんは少しだけ目を見開いて。
一さんの反応に、自分が言った言葉を反芻して、気づく。
ああ、これは男の人に向けた言葉ではなかった、と。
間違いに気づいて、そっと目を伏せる。
けれど、横から聞こえてきたのは小さな笑い声で。
くつり、こらえるようなそれ。
思わず見上げれば、目元を優しくゆるめた一さんがこちらを見ていて。
「綺麗、というならばお前だろう」
そ、っとのばされた彼の手のひら。
お酒で火照った頬が、その冷たさに包まれる。
瞳が、のぞき込まれるように顔が近づく。
後ろに下がろうにも、鋭い瞳が動くことを咎めるように向けられ続けて。
「はじめ、さん」
お酒のせいではない、熱が、頬に、体に、広がる。
名前を呼んだのに、返事どころか、微動だにしないその人。
「曇りを知らぬ、綺麗な瞳だ。」
その言葉と同時にゆっくりと、瞳の上に手のひらをかぶせられて。
視界が閉ざされた。
突然のことに少しだけ動揺しながらも、その手のひらにそっと自分のものをかぶせる。
___その声が、どことなく寂しげに聞こえたからかもしれない。
「どうか、俺をみないでほしい」
つぶやくように落とされた言葉。
「この手を赤く染めたこと、あの人たちのためにあれたこと、後悔は何一つない。」
ささやくように告げられる言葉。
「それでも、無垢で純粋な、汚れを知らぬお前に、俺を見られるのは、正直、つらい。」
耳だけしか聞こえないから、だからこそよけいに言葉に敏感になる。
苦しいと、叫ぶように、それでも声はあらげないから、よりいっそう。
「綺麗なお前に俺は汚れて見えるだろう?」
疑問文、でもそれは彼の中で肯定なのだろう。
一さん、一さん、この手を離してください。
このままじゃ、あなたをみれないままじゃ、慰めることだってできません。
ぺちぺちと手を叩いて離すように促すけれど、それは決して離れることはなくて。
「一さん」
名前を呼んでも、無反応。
ならば、私にできることは___
「一さんは、とても綺麗です」
唯一自由な言葉を、とても優しいあなたに。
少しだけ、温もりが揺らぐ。
「何故、そう言える?俺をなにも知らないのに。」
手に、力が入ったのがわかった。
そうですよ、私はなにも知らないです。
でも、だからこそわかることも、ある。
「あなたがなにをしてきたか、私はほとんど知りません。
だから、私が知っているあなたはいつも綺麗です」
あなたは優しい人だから、私に汚れたものを、みせないように、と。
だから、私が知るあなたはとても綺麗。
そして、
「あなたはとても優しい人です」
そっと、目元の手のひらがはずされる。
現れた一さん。
少しだけ、困ったようにでも仕方がないな、といいたそうに、
彼は笑う。
その向こう、ゆらり、隠れていた月が、姿を現して。
まるで、彼の気持ちを代弁するように、ただ煌々とあたりを照らし出した。
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