ドリーム小説
そばに寄れば、大地の匂い。
お日様みたいなあたたかさ。
柔らかな口調で、私を指す言葉を発して。
その瞬間、なんだかその呼び方が特別になったような、不思議な気分になる。
そばにいると嬉しいのに、そわそわして、どこかいたたまれなくなって。
姿が見えないと、どこにいるのかなぁ、何をしてるのかなぁ、そんなことを考えてしまう。
同じ刀派の刀たちと楽しそうにお話ししているのをみると、なんだかほんわかするのに、胸の奥の方がちりちりするような、違和感を感じて。
こっちをみてくれないかなぁ、だなんて届かない願いを抱く。
「これって病気なのかなぁ?」
執務の合間、少し休憩しましょうか。
そういって近侍の小狐丸さんがお茶をいれに席を立った。
部屋に残された加洲君と二人、世間話に花を咲かす。
そういえば、最近なんだかおかしいんだよねぇ、そういいながら近況を話せば、もしかして身体が不調なのでは、なんて考えにたどり着く。
思わず漏らした私の言葉に、この本丸で私の呼び声に一番に答えてくれた我が初期刀は、なんとも言えない表情を浮かべて。
一度、二度、口を開け閉めした。
「あるじ、ってさ・・・・・・」
どことなく、言いにくそうな話し方は、彼にしては珍しく。
「あー、やっぱいいや・・・・・・」
「なぁに、加洲君」
言葉を紡ぐことを諦めた彼に続きを促す。
「あー・・・・・・それって、一人に対して、だけ、だよね?」
いつもは真っ直ぐにこちらをみてくるかわいらしいつり目の瞳。
こちらも珍しく幾度となく視線をはずしていて。
「そうだねぇ。今のところ、一人だけ、だねぇ」
「ああ、うん、今のところっていうのが気になるけど、まあいいや」
ぼそり、つぶやかれた返事にはてさて、どういうことかと首を傾げる。
執務机にぺたりと頬をつけた加洲君は、どこかじとりとした目で私を見上げてきた。
「ちなみに、主、その刀のこと、どう思ってるの?」
どう思っている、とは、不思議な問いである。
私の呼び声に答えてくれた刀たちはどの子たちも例外なく、大切な仲間であり、どう思うか、だなんて。
「あー、ほかの刀に感じない感情とか、なんか、こう、あったりしない?」
首を傾げる私が答えやすいように、加洲君はさらに言葉をくれて。
そうだなぁ、と考える。
ほわほわした雰囲気の彼は一緒にいるとあったかくて。
確かに、ほかの刀に感じない感情は、あったり、する。
一緒にいるとうれしくて、心強くて、あったかくて。
それはきっと、一人っ子の私には今までなかった感覚で。
たぶんこれが__
「桑名君は、お兄ちゃんみたい、って思うかなぁ」
私の言葉に、加洲君は非常に、いたたまれない顔をして、机に顔を伏せた。
「たぶん、そうじゃない、そうじゃないんだよ、あるじ・・・・・・」
つぶやかれたそれは、くぐもって耳まで届かない。
相談相手が何故か目を合わせてくれなくなったので、これで話は終わりかなぁ、なんて思っていれば、からり、しめよせていた襖が開いた。
「主様」
柔らかな呼び声。
私を指し示すそれ。
「お帰り〜」
加洲君の声をたどって振り向けば、お盆の上にはあたたかな湯気をあげる急須と人数分の湯飲み。
それから、お皿に盛られたいくつかのおいなりさんを持つ小狐丸さんがいて。
にこにこと執務机に並べられたそれに、いそいそと背筋をただす。
「おいなりさんですね!」
「はい、いなり寿司ですね」
小狐丸さんが濡れた手ぬぐいで私の手を拭うと、ささ、どうぞ、と目の前においなりさんを差し出してくる。
断る理由もなく、ほおばる。
じわり、甘い油揚げ。
包まれたご飯は程良い堅さで。
おいしいそれは、誰のお手製だろうか。
じわじわと噛みしめていれば、ため息をつきながら加洲君も手を伸ばす。
「ん、いつもと味が違うね。今日は誰が?」
おいしい、としか感じていない私と違って加洲君の舌はしっかりと違いを察したようで。
「今日は桑名江が」
先ほどまで会話にあがっていた人物の名前に、むぐり、口の中の咀嚼が止まる。
言われてみれば、なんとなく、いつもよりもおいしいかもしれない、なんて考えが浮かぶ。
さっきよりもずっと丁寧に噛みしめてみた。
「ちなみに、主様」
三人そろって口に放り込んだおいなりさんを食べ終えれば、小狐丸さんが二つ目に手を伸ばしながら話を切りだした。
「先ほど、桑名江は兄のよう、と言っていましたが・・・・・・私は、主様にとってどんな存在ですか?」
にこにこと笑みを浮かべながら持ち出されたのは先ほどまで加洲君と話していた内容で。
どんな存在か。
これまた答えにくそうな質問だ。
興味を持ったのか、加洲君も真っ直ぐにこちらをみてきて。
「うーん、小狐丸さんは、小狐丸さんだからなぁ・・・・・・でも、大切な存在だよ」
どんな存在か、だなんて、思ったことはなく。
もちろんそれは加洲君やほかの皆に対しても同じで。
私の返事にきょとりとした表情をした小狐丸さんは次の瞬間ふわりと破顔して。
「そうですね、主様にとって、小狐丸は小狐丸で、大切な存在ですからね」
嬉しそうにまた一つおいなりさんをほおばった。
綺麗な瞳は嬉しい、そんな感情を前面に押し出していて。
そういえば、桑名君の瞳をみたことがないなぁ、そんなことをぼんやりと思った。
同時に、それが、とても、もったいないような、気分になって。
「俺たちとは違う感情を抱くんだったら」
加洲君の声に、意識をそちらに向ける。
「主にとって、桑名江は特別な存在なのかもね」
とくべつな、そんざい
なんだか、その言葉が、じわりと胸に響いて。
「特別な、存在・・・・・・そっかぁ、特別な存在かぁ」
私は病気かもしれない、そんな質問をしたことはとっくに忘れて、どうやら私にとって桑名君は特別な存在であることが、わかった。
小狐丸さんにつられてもう一つ頬張ったおいなりさんは、今まで食べた中で一番かもしれないおいしさだった。
「桑名君、桑名君」
「あるじ」
加洲君に答えをもらってから、私は彼を見つけるとなんだか嬉しくなって、すぐに近づいていくようになった。
名前を呼べば、ゆったりと振り向いた彼が、柔らかく私を呼ぶから。
それだけでなんだか、暖かくて、幸せだなぁ、だなんて気分になって。
「どうしたの、あるじ」
大きな体でそのまま私が近づくのを待ってくれる。
背が低い私の目線に近づくようにひざを折ってくれる。
ふわり、香る土のにおい。
「桑名君、これから畑に行くの?」
桑名君は当番じゃなくても畑に向かって自ら手入れをするくらい、畑仕事が好きだから、きっとそうだろう、とあたりをつけて。
そうだよ、と柔らかくうなずく桑名君。
彼のことを言い当てられたのが嬉しくて、くふりと笑えば、桑名君の口元も柔らかく笑みを形どる。
「あるじ、うれしそう」
そうだよ、うれしいんだよ、なんでだかわからないけれど、貴方のことを言い当てられて、とてもうれしいんだよ。
そんなことを言えば、桑名君はどこか驚いたような雰囲気を醸し出して。
けれど、目元は見えないから、ちゃんとした表情はわからない。
なんだか、もったいなくて、その瞳が見えないのが、どこか寂しくて。
そっと手を伸ばしてその前髪に触れる。
「桑名君の、目が、みたい」
もしも嫌だと言われたら、この手をのけるだけ。
ああ、でも言われたら寂しいなぁ。
そんなことを思いながらお伺いを立てれば、桑名君はゆっくりとしゃがみ込んだ。
両膝を抱え込むようにしゃがんだ桑名君。
前髪に手を当てたままの私も一緒にしゃがみ込んで。
ああ、やっぱり嫌だったのかな。
「ごめん、桑名君」
もうしないから、みせてなんて、いわないから、許して。
離そうとした手が、がちり、大きな手に包まれた。
その手は、私の手首なんて、簡単に折ってしまいそうな大きさで。
なのに、とても器用に優しく掴む。
「ぅわ、なんね、これ、やわらか、」
掴まれた私が驚くのは分かるけれど、掴んだ方が驚くのはおかしいのでは?
そんなことを思いながら、でも、なんでか、桑名君に掴まれているのが、うれしくて。
暖かさがじわじわと、広がる。
なんでだか、それが全身に広がっていく、気が、して。
顔が、耳が、お風呂上がりみたいに、あつい。
「、あるじ、」
私の顔を見て、驚いたような桑名君は、慌てて手を、離そうとして。
とっさにその手を、今度は私から掴んだ。
「や、だ、もうちょっと、さわってて」
なんだか自分でもよく分からないことを言った気がするけれど、それはたぶん本音なんだと思う。
私の言葉に桑名君は困ったように、でももう一度手を掴んでくれて。
「・・・・・・あるじにとって、僕はお兄ちゃんじゃなかったの?」
お兄ちゃん、それは、少し前に私が加洲君に向けていった言葉だ。
それは、もしかしなくても、あのときの会話を桑名君に聞かれていた、と、いう、こと、で・・・・・・?
ぶわり、熱が、あがった、気がした。
あのときのひどい相談を、この人は聞いていたのだろうか、もしかして。
私が、この人を特別な人だって、気づいたあのときの会話を。
「お兄ちゃん、って言われたから、いろいろ我慢してたのに」
我慢って、なにが、どういうこと、よくわかんない、わかんないけれど、このままじゃだめだ、って思って。
「桑名君は、特別な人、だよ!!」
今までにない近い距離。
そうすれば、前髪の奥の瞳が、かすかに見えて。
琥珀を溶かしたような、淡い蜂蜜色。
それが、真っ直ぐに私をみていたのがわかったから、ただ、言葉をつげる。
「加洲君とか、小狐丸さんとか、ほかの皆とは、違うの!」
私の言葉に、桑名君が脱力したのが、わかった。
「あるじ、ここでほかの人の名前出されると、ちょっと、僕でもこう、嫉妬しちゃうんだけど」
「しっと・・・・・・?」
嫉妬、それはどんな感情なのか。
熱い顔を持て余しながらもよく分からず首を傾ける。
「ああああああ・・・・・・」
奇声を発した桑名君。
そんな姿は始めてみた。
初めて見れた桑名君に、また、なんだか、にこにこしてしまう。
「あるじ、なんなん・・・・・・僕よりずっと長く人間の体してるはずやのに、なんで僕より疎いの・・・・・・」
掴まれたままの手のひら。
それが、ぐいと引き寄せられて。
さっきよりも近い距離。
桑名君のあいている方の手が、さらりと自身の前髪に触れて。
「ほら、目」
あげられた前髪の奥、甘い甘い蜂蜜みたいなそれは、とても、綺麗で、おいしそうで。
特別な、人。
その言葉の意味を、理解した。
ほかの誰とも違う、特別な人。
私の感情が向かう先。
同じ感情を返してほしい、だなんて欲張ってしまう、この、感情は__
「ああ、私、桑名君が好きなんだねぇ」
口から漏れた言葉は、確信を持って、私の心に降り積もる。
ああ、そうか、
「桑名君、すきだよ」
この人にだけ感じていたこの感情は、共にいられるとうれしくて、私をみてくれないと悲しくて。
名前を呼ばれると気分が高揚して、姿が見えないとなにをしているのか、って思いを馳せて。
「すき」
「あるじ、黙ってえ」
むぐり、唇に押し当てられた大きな手のひら。
それ以上言うなと言う桑名君の耳は、
「真っ赤だねぇ」
甘い果実のように色づいていた。
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「あるじは、僕を近侍にはしてくれないの?」
先日、私のこの感情は、桑名君に好意をもっているからだと判明してから約一ヶ月。
以前よりも一緒にいることが増えた。
増えた、というか、私がすぐ桑名君のところに押し掛けるようになって、桑名君も用事がなければ私のそばにくることが増えたからだけれど。
一緒にいられるのはうれしいし、暖かいし、幸せだから、私としては、それでぜんぜん満足なんだけれど、どうやら桑名君はそうでもないようで。
執務合間の休憩時間。
執務室にやってきた彼は、となりの小狐丸さんと加洲君をちらりとみて。
ふわふわとした雰囲気の中にどことなく不満そうな空気を纏って、そんなことを聞いてきた。
その言葉に、ふむ、と考える。
近侍、自分の仕事の手伝いをしてもらう、一番近い刀剣男子のこと、だと私は認識していて。
私の近侍は小狐丸さん。
休憩時間をたくさんくれるのでよく彼にするのだ。
それから初期刀である加洲君。
小狐丸さんだけだと甘いから、と良く一緒にいてくれる。
それから、桑名君に目をやって。
かっこいいなぁ、とおもう。
・・・・・・桑名君が二人よりもきらきらして見えるのは、ほかの誰にも持っていない感情を、彼に対して抱いているからで。
ちらりとよぎった考えを端にのけて、言葉を考える。
「桑名君は、近侍にはしないねぇ」
私の言葉に、ぐ、っと桑名君は息をのんで。
雰囲気がどこか寂しそうなものに変わる。
だめだ。
特別な人に、大切な人に、悲しい顔をさせたいわけじゃない。
誤解される前に、ちゃんと伝えなければ。
「近侍にして、一緒にいたいって気持ちはあるけれど、でもそれはだめだよ桑名君」
しょんぼりとした様子はなんだか大型犬のようで。
慌てて彼のそばに寄って、そのうつむいた顔をのぞき込む。
「だって、近侍にしちゃったら、桑名君の畑の時間が減っちゃう」
太陽の下、土と戯れる桑名君も大好きで。
それを私のせいで見る機会が減ってしまうなんて、そんなことは、いけない。
「私は桑名君と一緒にいられたらうれしいけれど、かといって桑名君に自分の好きな時間を減らしてほしい訳じゃないもの」
微かに見える琥珀色がゆらり、揺れる。
「私は、桑名君に、私に向けてくれる感情と同じくらい、自分の時間を大事にしてほしいの」
だって、それが桑名君だから。
私の言葉に、桑名君はぽかんとした表情をして、そして私から目をそらした。
「あるじ、ほんっと、あるじって・・・・・・」
口元を大きな手のひらで覆ってつぶやく声。
呼ばれている気がするけれど、おそらく呼びかけではない。
ついでに言うとたぶんほめられてもいない。
「桑名江、かわいいでしょ、俺たちの主」
崩れ落ちた桑名君に加洲君がにこにこと近寄ってくる。
そしてとても楽しそうに私をみた。
「あーるじ。もういっこ理由があるんでしょ?」
加洲君のにやにやとした顔。
私の初期刀の言葉に不思議そうに顔を上げる桑名君。
ちょっと、まって。
理由は実はもう一個あるけれど、ちょっと、まって。
それは、桑名君には知られたくない。
だって、それを知られちゃったら、せっかく保っているあるじとしての、矜持が__
焦りながら慌てて加洲君の口をふさぎにかかる、が。
「そういえば、主様、この間言っていましたね。桑名江が近侍だと心臓がもたない、とかなんとか」
まさかの後ろからの小狐丸さんの裏切りにあった!
「こぎつねまるさん!!」
慌てて振り向けど、発された言葉は元に戻ることはなく。
「しかも今たくさん会えるだけで満足だ、っとも言ってたよね」
加洲君の追い打ちに、口から言葉はでてこない。
かくなる上は、桑名君が聞いていないことを願って__
「あるじ、ほんっとに、かわいか・・・・・・」
まあ、狭い部屋で聞かれていない、なんて奇跡なんてあるはずもなく。
あああ、なんとなく保っていたと言い張るあるじとしての矜持が、がらがらと崩れていく。
「桑名君、おねがい、聞かなかったことにしてください、」
おそらく今私の顔は真っ赤だろう。
桑名君にみられたくなくて、小狐丸さんの後ろに身を隠す。
穴に埋まりたい。
あ、いまこそ鶴丸さんの出番なのでは・・・・・・?
現実逃避をしていれば、ゆらり、揺れた気配。
何事かと思う間もなく、私の身体は宙に浮いて。
否、桑名君によって、抱き上げられていて。
まって、私、たぶん、重いと思うんです、言おうとした言葉は、前髪の下、琥珀色の蜂蜜に縫い止められて。
「加洲、小狐丸、あるじ、借りていくね」
加洲君も小狐丸さんも笑顔で手を、ふってる、ちょっとまって、なんで、どういうこと・・・・・・?!
「加洲君、小狐丸さ、」
非情にも襖は目の前で閉められた。
すたすたと、私の重さなど感じないように桑名君は廊下を歩く。
どこに向かっているのかはわからないけれど、おろしてくれる気配もない。
ならば、もう、これは__
諦めて、ちらり、見上げた先、整った顔の桑名君。
これは、もう、特別な人のすてきな顔を見続けるしかない。
桑名君の部屋の前。
日当たりのいい縁側でようやっと彼は止まって。
私を抱えたままで座り込んだ。
ぽかぽかとするそこは、暖かくて。
桑名君の膝の上に横抱きにする形で座らされれば身動きもとれず。
「あるじ、あの、みられすぎると、ちょっと・・・・・・」
だって、することがないのだから、仕方がない。
桑名君のいやがることはしたくないけれど、なんとなく、たぶんいやがられてないと思うから、見続ける。
そうすれば、微かに頬に赤みがさして。
私が桑名君のそんな表情を引き出したことに気づいて、くふりと笑う。
すると桑名君は諦めたようにため息をついて。
お返しに、とばかりに真っ直ぐに私を見てきた。
綺麗な琥珀色が、太陽の光をかすかに纏って、さらに綺麗さを増す。
「ねえ、あるじ。あるじが僕を大切に思ってくれているように、僕もあるじを大切にしたいんだけど」
なにを言っているのだろうか、この刀は。
私はもうすでに十分すぎるほど大切にされているというのに。
私が言いたいことが分かったのか、桑名君は言葉を探すように宙を見る。
琥珀色に私が写らなくなったのが寂しくて、思わずその頬に手を伸ばした。
けれど手のひらは届く前に桑名君によって捕まえられて。
「あるじは__いろいろ、僕と先に進みたいと思わないの?」
唐突な問いかけ。
先に、とはひどく抽象的な質問で。
けれど、私だって、つきあう男女がすることくらい、知っている。
「進みたくないわけじゃない、よ」
ぎゅうってしたり、手をつないだり。
それより先があることも、一応は、知ってる。
なにも知らない訳じゃない。
この気持ちが恋だというものだと、知らなかっただけで。
この人と一緒にいる時間はただただ幸せで。
だからこそ、今の現状で満足しないと。
これ以上望めばすべて失ってしまうんじゃないか、だなんて、怖い考えが浮かんだりして。
「ただ、今で十分満足してるだけで」
私の唇に、桑名君の節くれ立った手のひらが、あたった。
「僕は、すすみたい。主と、もっと先に進みたい。僕だけしか知らない主を、しりたい」
ゆるり、つめられる距離。
琥珀色が、いつもと違う熱をはらむ。
それは、やけどしそうな程にあつい。
思わず顔を逸らせば、小さな息と共に、体中が温もりに包まれて。
抱きしめたられた、それだけで、もう私の頭は沸騰寸前で。
「くわなくん、だめ、もう、いっぱいいっぱい!!」
まだ、もうちょっと、まってほしい。
あなたからの愛は大きすぎて、まだ私は受けいられるだけの、器を、用意できていないんだ。
耳元で、ため息。
ああ、桑名君をあきれさせてしまったのだろうか。
「うん、まつよ。僕は君を大事にしたいから__ちゃんと、まつよ」
よぎった怖い考えは、桑名君の言葉で払拭されて。
「でも、ね、あるじ__」
ぎゅう、とさらに強く抱きしめられて。
耳元で低めの声が、響いた。
「はやく、慣れてね、僕のために」
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