ドリーム小説


2階から見下ろす窓の外。
校庭と正門が見えるのは廊下側。
教室から見下ろせるその場所は、いわく、校舎裏という場所で。
はじめ見たときは小さな畑のような一角だった。
次に気づいたときは、それが倍の大きさになっていて。
そこには私ではわからないけれど色んな何かが植えられているようで。
用務員さんとか、そういう人が何か育てているんだろうなぁ。
そんなことを思っていた。

違う、とわかったのは1ケ月くらい前。
委員会当番にあたった幼馴染から一緒に帰るから待っていて、と教室に残されて。
放っておいて帰ってもよかったけれど、それをすると明日色々といわれるのもわかっていたから。
窓際の自分の席に座って、ぼおっと見下ろしていた時に、かすかに見えた誰かのジャージ。
誰だろう、と深く見下ろしてみれば、そこにいたのは緑色のジャージを身に着けた一人の男子生徒で。

もっさりとした肩口までの髪。
その髪のせいで、目元は見えない。
上から見ているからあまり自信はないけれど、体格は、よさそう。
しゃがみこんで、汚れることなんか気にしないみたいに、土に膝を付いて。
大切なものに、さわるように、その植物に、触れて。

微かに見えた、横顔。
その口角は、微かに上がって見えて。
ふわり、風が吹いた。
隠れていた目元が、微かに見えて。
愛おしげに、慈しむように、そんな色をたたえた瞳が、現れた瞬間



私は彼に、こいをした。



あの日は、すぐ後に迎えに来た幼馴染のせいで、その人をそれ以上みていることができなくって。
でも、それ以降、私は暇さえあればあの日のように彼を眺めるようになった。



※※※




放課後、幼馴染を待つふりをして残った教室。
そっと見下ろした先。
そこには望んでいた姿が一つ。
じっとりと汗ばむ陽気をものともせず、植物のお世話をするその人は、今日も変わらず楽しそうだ。
そんな彼に近づいていく男子生徒の姿が一つ。
彼の友人だろうか。
ぼんやりと眺めていた私の耳が、一つの名前を拾った。

「桑名」

ばくん、と心臓が大きく音を立てた。
今までこっそりと向けていた意識をより一層校舎裏へと向けて。
放課後の静かな世界に必死に聴覚を研ぎ澄ます

くわな

それが、あの人の名前だろうか。

「松井かあ、どうしたの?」

応える、声。
初めて聞くその音。
穏やかで、柔らかなそれは、じわじわと耳に沁みこんでいく。
ばくばくとなる心臓の音すら邪魔で、取り外してしまいたくなる。
もっと、ちゃんと声を聞きたいのに。
二言、三言、会話をした彼は、一つ頷いて、松井と呼ばれた人と共に校舎裏から姿を消した。

「くわな、くわな、くわなくん」

舌先で転がした名前は、私が大好きな飴玉よりも甘く感じて。
馴染ませるように口の中で呟く。
宝物みたいに、きらきら煌くそれを、大事に大事に心に仕舞う

その名前を私が面と向かって彼に向けることはないだろうけれど。




※※※



どうやら彼は、園芸部に入っているらしい。
亀の歩みにも似た情報収集だが、確実に前には進んでいる、と思いたい。
顧問の先生に世間話のように聞きだした話によると、畑の拡張も植えている作物も、今は桑名君が全部管理しているようで。
荒れ地になっていた校舎裏を有効活用してもらう分には助かるのだ、と話していた。
園芸部は毎日活動しているわけじゃない。
他の部員の姿を見ないのはそのせいらしくて。
けれど、桑名君は毎日畑にいる。

初めて見つけた日から、それこそ毎日。
あの日見たジャージそのままで。
変わったことと言えば、強くなってきた日差しのせいだろう。
帽子をかぶるようになったくらいだ。
ふわふわした頭に乗せられた帽子はひどく似合って見えた。

長いホースを引っ張ってきて、作物に水をかける。
場所によって水をかける時間が違うのは、作物によって必要な水の量が違うからだろうか。
細やかな気遣いができる人なんだろうか、そんな取り留めのないことを思う。
一通り水をやり終わったのか、桑名君は満足そうに畑を見回して帽子をとった。
それから手元のホースから流れ出る水に目をやって__

「ひゃ、」

びしゃり、と頭から、水を、かぶった。
びっくりして漏れた声。
聞こえていないだろうけれど思わず口元を覆って窓から顔をひっこめる。
まだ響く水の音に、そおっと下を覗き込めば、ええと、あれだ……
水も滴るなんとやら、じゃないだろうか。

ふわふわとしてみえる髪は水分を吸ってぺたりと頭に張り付いて。
ジャージもまあ、もちろん水浸しで。
なのに、どう控えめに言ってもかっこいいのだ。
さらに、桑名君はそのままでもかっこよかったのに、ぐい、っと濡れた前髪をかきあげたり、するものだから、いつもは隠れた瞳が、お目見えしたり、して。
とてつもない情報量に頭がパニックになりそう、というか、なった。






※※※







幼馴染が突然似合わないホームセンターに行くと言い出して。
予定はないと決めつけられた私はあっさりと休日に連れ出された。
まあ、予定は何もなかったので構わないけれど。
一緒についてこさせたくせに、店内では勝手にみるから、と放り出されて。
あまり来ることのないホームセンターを一人冷やかしながら歩く。
欲しいものなんてここにはないし、どうしようかなぁ、と思いながら向かったのは園芸コーナー。
想い人はきっとこういうところで楽しそうに種を選んだりしてるんだろうか。
そんな妄想をしながら園芸コーナーと書かれたエリアへ立ち入った、ら。

ホームセンターで、まさか、想い人の姿を見つけることになるなんて、思ってもみなかった。

目に入った姿に思わず隠れてしまう。
真剣な顔をして眺めていたのは種ではなく、苗だったけれど。
二つの苗を手にとって、どちらがいいか、悩んでいるのだろうか。
その姿を隠れながら眺める。

休みの日に好きな人の姿を一目見れた。
それだけで、今日はなんて素敵な一日だろう、だなんて舞い上がったりして。
そして、気づく。
これは、彼に近づくチャンスなのではないだろうか。
ばくんばくんと音を立てる心臓を抱えながら考える。
いつもは教室から見下ろす姿を、至近距離から見れるのではないだろうか。

どうしようか、だなんて頭では考えているのに、気づいたら足は地面を蹴りだしていて。
早足にならないように、不自然に見えないように。
そうっと足を進める。
しゃがんだ状態で苗を見比べる彼の後ろへ。
ゆっくりと足を進めて。
彼の後ろの棚に用事があるんですよ、だなんてふうを装って。

ふわり、香るのはお日様のような、温かい陽だまりの匂い。
いや、そんなわけない、気のせいだ。
そんなことを言い聞かせながら棚を物色するふりをする。
全神経は後ろに向っているし、目の前の棚に何が置いてあるかなんて認識もしていないけれど。

「うん、こっちにしよう」

ぽつり、聞こえてきた後ろの声。
体全体が耳になったみたいにその声を拾う。
どこか弾んだ雰囲気はいつも以上に楽しげで。
後ろの彼が立ち上がる気配。
と、

「あ、ごめんねえ」

こつり、微かに肩がぶつかった。
同時に謝る声。
慌てて振り向けば、思った以上に高い位置からこちらに視線をやる、想い人が、そこにいて。

「だ、いじょうぶです」

絞り出した声は掠れていて。
まって、今更思い出したんですが、私今リップも何も塗っていないし、髪の毛も服も適当だ。
なんで、こんな姿でこの人の近くにいけると思ったんだろうか。
ぶわり、上がった熱は涙腺に直結しそうで、慌てて視線を逸らす。
どうやら不自然ではなかったようで、彼はもう一度謝罪の言葉を投げるとレジへと向かって歩き出して。

やばい、いろんないみで、しにそう

幼馴染に見つけられるまで、私はそのまま立ち尽くしていた。





※※※







学校に忘れ物をした。
しかも月曜日に提出するように言われている課題プリントを、だ。
取りにいかない、という選択肢はなく。
一人で行くのもなんだかいやで、声をかけた幼馴染にはあっさりふられた。
昨日のホームセンターに一緒に行ったのに、と反論したら、それはそれ、と逃げられた。
あきらめてさっさと取りに行こう。
そう思って向かった学校。

もしかしたら校舎裏にあの人がいるんじゃないかな。
そんな淡い期待は残念ながら裏切られて。
しょんぼりしながら校舎に入って教室へ向かう。
目的のプリントを見つけ出して、諦め悪く見下ろした窓の外、そこに人影が見えて。
もしかして、そんな思いで覗き込んだ先、そこに見えたのは三つの影。
それから、彼とは似ても似つかない賑やかな、声。
三人は、不快感を感じさせる笑い声をあげながら、その足で、地面を、桑名君が大事にしている畑を、踏みつけやがった。


ぐわり


熱が、あがる。
これは、いいほうのものではなく、怒りだ。
まごうことなく、怒りだ。
彼が、桑名君が、大事にしている場所を、大切にしている植物たちを、踏みにじりやがった、彼らに対しての、怒りだ。

「そこの三人!!!」

考えるよりも先に、声が、でた。
幼馴染にいつも言われる、あんたは考えるよりも先に口がでるタイプだから、一端深呼吸しろ。
それから口に出せ、だなんて忠告は頭からすっぽ抜けている。

こちらを見てきた三対の瞳。
それを確かめて、窓から身を乗り出す。

「そこは、大事な畑なんです!大切にしてる人がいるんです!踏まないで!!」

私の言葉に怪訝そうな目が一対。
鬱陶しそうな目が一対。
それから、楽しそうに歪める目が一対。

「じゃあ、止めてみろよ」

楽しそうな目をした一人が、また、足を踏みあげた。
それを、その地面に、また、踏み下ろすのか!!

桑名君が、大切に、慈しんでいるその場所に、彼の愛情がたっぷりと向けられたその植物たちに

認識した瞬間、体は動いた。
幼馴染にいつも言われる、あんたは考えるよりも先に動くタイプだから、一端落ち着け。
それから動け、だなんて忠告は頭から消え失せた。

窓枠に手を置いて、足を外へ放り出す。
2階など、大した高さではない。
飛び降りるなんて、簡単だ!
やったことないけど、多分!

そして、体を外に放り出した瞬間、後悔した。

思ったより高いよ、これ!!!
さっき追い出した幼馴染の言葉が返ってくる。
ごめん、ちゃんと、忠告聞いとけばよかった!!
着地上手くできる気が全然しない!!
とか、ぐるぐる廻る思考に、これが走馬灯というやつか!!なんて考えまで至って、地面とこんにちはする直前、あったかい何かに、包まれた。

「っぶな、なにしちょるん!!」

頭が、考えるのを、放棄した。
だって、この声は、何度も聞いた、想い人のものだし
それがこんな至近距離から聞こえるなんて、想像もしてなかったし
このあったかい温もりはどういうことなのか、理解するよりも緑が目の前に広がっているほうに気を取られて。

「きいてるん?」

その言葉が、私に向かって発せられているだなんて、想像もできなかったのに。
固まったままの私に一瞬怪訝そうな顔をした彼だったけれど、すぐに視線を畑のほうに向けた。

「で、そこ、三人。その足、はよのけてくれるかなあ」

初めて聞く、低い声。
穏やかに聞こえるその口調。
しかしながら、込められている感情は明らかに、怒りだ。
三人組はなにかもにょもにょ言っていたようだけれど、すぐさま畑から足をのけて、背中を向けた。
つまり、残ったのは私と、彼、桑名君だけで。
まって、置いてかないで、ここで二人にしないで。
思わず原因となった三人組に目をやるけれど、びっくりするくらいに早い逃げ足で。
もう何も見えなくなっていた。
ぐるん、と三人組に向けられていた視線が、私を射抜く。
前髪に遮られているはずのそれは、しかしながらひどく強くて。

「なんで飛び降りたりなんてしたん?」

強い、語尾。
先程の三人組に向けたものとは違うけれど、感情がのせられたそれに、思わず、口が開いた。

「桑名君、だぁ」

質問に応えるでもなく、口から出たのは彼に向って発することなどできないと思っていた彼の名前で。
虚をつかれたように、彼の感情が拡散した。

「ん?なんね、僕の事しってるの?」

こてん、と傾けられた首。
大きな体なのに、その仕草はとてもかわいらしく見えて。
思わず息が詰まる。
だって、まって、何故か忘れていられたけれど、今、私は想い人の腕に抱きかかえられているような状態なわけで。
体重の事とか、至近距離で見られる顔の状態の事とか、思うことはいっぱいあるのに。
前髪の奥、私を見つめる瞳のせいで考えは拡散していく。

「……あ、いつも2階から僕をみている子だねえ」

いつも、見ているのを、気づかれていたのか!
なんてことだ。
隠れて覗いていたのがばれていただなんて。

「畑に興味があるのかなあ、って思ってたから」

惜しい!!とてつもなく、惜しい!!
畑じゃなくてあなたがそこにいるからです、だなんて、言えるほどの度胸は今の私にはない。

「そっかあ、畑から声が聞こえるなあ、って思ってここに来たんだけど」

聞かれていた、まさか、あの怒鳴り声を?
想い人の前で、自己紹介をするよりも先にはしたない姿をさらしてしまっただなんて。
というか、もう抱きかかえられている時点で色々駄目なのでは??
何を言うこともできず、口を鯉のように開け閉めすることしかできない。

ふにゃり

彼の纏う空気がいつものものに、変わる。
温かい、柔らかな空気に。

「僕の畑を、守ろうとしてくれたんだねえ」

ふわり、微笑む雰囲気は、やっぱり好きだなあという気持ちを抱かせて。
ゆっくりと、地面におろされて、両足が久しぶりの大地を踏みしめる。

「あのね、」

目の前に、大きな掌が差し出された。
思わずそれを見つめれば、その手はゆっくりと私の頭に回って。
ゆるり、髪の毛をかき回された。

「僕の畑のために、怒ってくれてありがとう」

柔らかな陽だまりみたいに、あったかい空気で。
私に向けられる言葉。
私にだけ、向けられた言葉。
それに顔が赤くならないはずもなくて。
くしゃり、一通り撫でられた頭が、あつい。
その手が、ゆるり、下にさがって、がしり、今度は肩を掴まれた。

「でも、女の子が2階から飛び降りるとか、おすすめはしないかなあ」

ぽやりとした雰囲気の彼は、困ったように首を傾けて。

「危ないことはもうしちゃだめだよ」

諭すように、言葉を紡ぐ。
ごめんなさい、桑名君。それは頷けない。だって、同じことがあれば、私はまた同じように行動しちゃうだろうから。

「返事は?」
「ぜ、善処します」

私の言葉にうん、と満足そうにうなずいた桑名君は、そういえば、ともう一つ爆弾発言を、落とした。


「あと、畑だけじゃなくて、僕にも興味を持ってくれたら、うれしいなあ」









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