小説
甘い味が広がって
あなたは結局誰だったのだろう。
美術館で見つけたあなた。
私よりもずっと高い背。
大きな背中。
優しい笑顔。
それを、知らないはずなのに、私は知っていたの。
薔薇の前で別れたあなた。
名前を言うこともなく、別れて。
そのコートをつかみたくて仕方がなかった。
それは叶わなかったけれど。
いつの間にかポケットにはいっていたキャンディー。
それはひどく悲しい味がした。
「あ、」
「あれ?」
学校の帰り。
駅の前で見つけた人。
高い背。
少しぼろぼろのコート。
特徴的な髪形。
たった一度。
あの場所で会った人。
目があった瞬間、その人も驚いたように声をあげて。
「えーと・・・確か、美術館にいた人よね?」
じくり、心臓が、音を、立てた。
声を返せずに一つ、頷けばふわり、笑う顔。
どくり、もう一つ、心臓が、なった。
「・・・じゃあね」
ふわり、手を振って足を進めようとしたあなた。
気がついたらあなたのそのコートをつかんでいた。
今度こそ、掴んでいたの。
「えーと、お嬢ちゃん?」
不思議そうに、問う声。
ぎゅう、と放さないようにそのコートをつかむ手を強くして。
俯いた私に向き合ったあなたは目線を合わせるようにしゃがんでくれて。
「・・・始めまして?私はギャリーって言うのよ。あなたは?」
柔らかな声。
穏やかな表情。
大きな手。
私は、この人を、知ってる。
「っ、違う、ちがう、よ。」
「え?」
私は知ってるの。
あなたが本当は怖がりだということも。
それでも、私を心配させないようにいつも柔らかく笑ってくれていたことも。
強がってばかりいた私を、優しく受け止めてくれたことも。
ぶわり、頭の中、ひろがっていく、景色。
暗い不思議な美術館。
追いかけてくるたくさんの絵。
綺麗な色の、薔薇。
一緒にこの場所に来ることができなかった、あの子も。
始めましてなんて、言葉、聞きたくない。
「違う、ギャリー、違うの、」
言いたいことは、たくさんあるのに、言葉にならなくて。
「聞いてっ、違う、私は、」
伝えたいことは、たくさんあるのに、それより先に涙が溢れて。
「ギャリーっ、ずっと、言いたかった、の、」
ぼたぼた溢れる涙が、言葉を遮って、あなたに届かない。
そんなの、いやだ
「っ、」
手を伸ばして、その温もりに縋りつくの。
離れていかないで、置いていかないで。
私を、知らないことに、しないで、お願い。
「っ、ギャリー、」
「イヴ・・・?」
その声が、私を呼んだの。
その手が、私に触れたの。
あなたが、私を、
「なん、で、忘れていられた、の・・・?」
ゆるり、確かめるように、触れてくる手。
髪をなでて、頬に降りてきて、確かめるように目線を合わせて。
「そ、うよ、そうよ、イヴ。アタシは、あんたに何回も助けられたのよ、あの場所で!」
ギャリーの目に、私が映っている。
そのことが、どうしようもなく嬉しいと思えて。
「っ、ギャリー、私、私っ、」
「あらあら、あの場所では全然泣かなかったのに。」
だって、だって、あの場所にはあなたがいたの。
今、あなたが私を思い出してくれたことが、嬉しくて嬉しくて。
「・・・ごめんなさいね。思い出すのが遅くなっちゃって。」
申し訳なさそうにぎゅっと抱きしめてくれるそれが、大好きで、大好きで。
「ギャリー、ありがとう、一杯助けてくれて、ありがとう。」
ただ、その一言がいいたかったの。
「・・・そんなの、私の言葉よ。ありがとう、イヴ。」
ギャリーの声が聞こえることが。
ギャリーのぬくもりがあることが。
ギャリーが笑っていてくれることが、ただ嬉しくて。
嬉しいのに、涙が止まらなくて。
「ああもう、イヴ、そんなに泣いたら干からびちゃうわ。」
楽しそうな、声。
ごそごそと離れた手が、何かを探す音。
「ほら、キャンディーあげるから。泣きやみなさい。」
差し出されたキャンディーに余計に涙が溢れて。
「ちょ、イヴ?」
パリり、はがされる包み紙。
柔らかく口元に充てられる甘い味。
「ほら、口あけて、イヴ。」
それに素直に口を開ければ、ころり、転がりはいってくるキャンディー
甘い甘いその味は、以前もらったものよりもずっとずっと温かい味がした。