ドリーム小説







配達ギルドのあれこれ 




















気づいていた。
少しずつ、忘れていくことが増えているのを。
何を忘れたのかすら、忘れていくことを。
表面張力ぎりぎりまで入れられた水が、グラスの外に押し出されるように、じわじわと、それでも確実に消えて行くものが、あることを。
それが怖くて、でも、忘れてしまえば楽になれるんじゃないか、だなんて。
馬鹿なこと思って。

この世界にきて確かに感じていたその感覚。
けれど、あの怪我をして以降、よけいに、記憶が、かつてのことが__家族のことが、思い出せなくなって。
友人の存在など、もう、私の中に存在していない。

すべて忘れてしまったら、私が、今まで私がこの世界で。あの場所に戻るためにしてきたすべては、無駄なことになってしまう。

ダングレストから少し離れた場所。
夕闇の町とは違い、星が空に宿る。
きらきらと輝くそれは、あの世界では気づくこともできないほど小さな光だったから。
この世界にきて、知らないことをたくさん知った。
知っていたはずのことを、改めて理解した。
この世界で得た物は、多い。

それと引き替えに、あの世界のことを失っていく。

戻りたい理由すら、ぶれていく。


「お嬢」


それは、この世界で、彼が口にする、呼び方。
ゆっくりと声の主へ目を向ければ、穏やかな表情を浮かべるその人がいて。

この人は、見つけたのだろう。
以前とは全く違った表情を浮かべるようになったこの人は。
空を見上げる私の横にくると、彼は横に座り込んできて。
だから、私もゆっくりと腰を下ろした。

「__お嬢、大将を助けてくれて、ありがとね」

レイヴンの静かな声が、夜の闇に滲む。

「__助けたのは、自分のためですから」

あの人ならば、私が元の世界に帰る方法を作り出してくれると、そう信じているから__信じるしかないから。

「それでも、あの人を生かしてくれて、ありがとう」

この人の言葉が、胸にいたい。
私は何一つ、あの人のためにも、レイヴンのためにも、動いていないというのに。

「__私、この世界の生まれじゃないんですよねぇ」

ゆっくりと星空を見上げたまま紡ぐ言葉。
この世界で、限られた人にしか話したことのない内容。
レイヴンは相づちをうつでもなく、静かに耳を傾けて。

「大事な家族も、友人もいたのに、気がついたらこの世界にいたんですよ」

言葉にするとひどくでたらめなようにも聞こえる。
けれど、すべてが私にとって真実で。

「私を知ってる人もいない、私が知っているものもない、魔物も魔導器も見たことなかった」

常識が通じないこの場所で、自分の居場所を確立する方法なんてわからなかった。

「帰りたいんです。私の大事な人のいる世界に」

帰るために、知識を得た。

「戻りたいんです。私の大切な物があふれる世界に」

戻るために、世界を巡った。

「この世界で大事な物を作るつもりなんて、なかった」

あの世界に帰るために不必要な物はすべて。

「この場所で大切を重ねていくつもりなんて、なかった」

戻るために、必要であればいくらでも悪にもなろうと。

それは、何一つ知らないこの世界で、頼れる物を持たない私が自分を守るために選んだ方法。

「そのために、ずっと探し続けてたのに」

いろんな場所に行った

「ずっと、捜してるのに」

いろんな人に聞いた__なのに

「 なにも、みつからない 」

帰り方どころか、その片鱗すら。

「だから、あの人に頼るしかなかった」

いろんな人を傷つけて、それでも、あの人に縋ることを選んだ。

「ほかの全部、いらないから、どうやってでも、帰りたいの」

だから、だから、

「自分以外、いらない、ってそう思い続けて、いっぱい、傷つけて」

なのに、なのに、



「かえれないなら、わたしがこのせかいでしてきたすべては、どうなるの?」



わたしはいままで、なにをしてきたの?


世界が、紫色に、染まった。
同時に体は温もりに包まれて。



名前を、呼ばれた。
この世界で限られた人しか呼ばない、私の名前を
彼の温もりが、私の中の壁を溶かしていく。
いままで築いた強固なはずの壁が、簡単に崩れ落ちていく。


心に、この人が、入り込む。


「エステルに、リタに、ジュディスに、皆に、私ひどいことしたのに、たくさん傷つけたのに、最後は自分が消えるからって、いろんな悪いこともしたのに」

名前を呼びたくはなかった。
名前を呼ばれたくはなかった。
大事になっちゃうって知ってたから。

「この世界に残らなきゃいけないなら、全部全部、私が私のためにしてきたすべては、私の自分だけのためのわがままになっちゃう」

だからこそ、私を残さないように、痕跡を残さないように、生きようとしてきたのに。

「帰るために、って掲げた大義名分が、失われたら」

私のためにしてきたすべては、何一つ、つながらなかったそれらは


「わたしは、これから、どうやっていきていけばいい?」


ぎゅう、とその紫を力一杯握りしめれば、応えるようにその腕は強くなって。


「じゃあそれを、俺と一緒にさがしましょ」


耳元で聞こえたレイヴンの声。
微かにふるえて聞こえたのは、どうしてだろう。

「おっさんもね、今、生きてるって、知ったばっかりだから。どうやって生きていけばいいのかわかんないの」

とくりとくり。
音をたてる彼の心臓。
人のよりもずっと堅いその場所は、それでも確かに私たちと同じ鼓動を刻む。

「情けないことにね、お嬢と一緒で俺も迷子なの」

困ったような声色。
すとん、と落ち着いた。
迷子、だなんて。
年を経た私たちには似合わない単語なのに。
ああ、そうか。
この人も迷子なのか、だなんて。

「諦めなくていいの」

諦めなくてもいいのだと、この人は言う。
私は、見つからないそれを、諦めなくてもいいのだと。

「帰り方を探し続けてもいいのよ、まだ」

紫色が、滲む。
ぎゅう、とそれにすがりつく。

探し続けてもいいの?
まだ、希望をもっていてもいいの?

「かえりたかった、の、かえりたいの」

かこにしなくても、いいの?

「でもね、もう、おぼえてないの」

おぼえていないのに?

「おかあさんのこと、おとうさんのこと、おねえちゃんに、おとうと、知ってるはずなのに、どんどん消えていくの、薄れていくの。存在が、もう」

おかあさんのおいしいごはんのあじも
おとうさんがわたしをだきしめるうでも
おねえちゃんがわたしをよぶこえも
おとうとがわたしにだきついたからだも

「おもいだせないのに」

レイヴンの腕がそっと、離れた。
遠ざかる温もりに思わず手を伸ばせば、微かな笑い声。

「思い出せないのは、記憶がのことを、守ろうとしてるのよ」

ぼとぼととみっともなく落ちていく滴が、大きな手のひらに拭われて。

「これ以上、傷つかないように、って」

こつり、額同士が重なる。

「大丈夫。忘れた訳じゃない。必要なときになったらちゃんと戻ってくるのよ、その記憶たちは」

至近距離、綺麗な瞳が瞬いて、柔らかく笑みを形どった。

この人は、かまわないと言う。
その記憶は戻ってくると。
それが、ただの慰めであったとしても。
この人が、私の為にうそをついてくれるならば。



それだけで、価値のある物のように思えるから。


もう、いいか
空っぽな、この世界の私に、心を、感情を、あげても、いいか。
これ以上、拒めない。
これ以上、拒みたくない。

この優しい人たちを、これ以上突き放すのは、もう、嫌だ。

強固に見えたその壁は、みえていただけで、とても簡単に溶けだして。
じわり、じわりと世界に溶ける。



「みんなを、受け入れても、いいの?」
「受け入れてくれるなら、そんなにうれしいことはないよ」

ちゃんと帰れるように、なくさないように、この心に入ってくる感情を、皆を、必死で追い出していたけれど。

「この世界に、いつか消えちゃうこの世界に、私を残してもいいの?」
「だめなんて、誰が言ったの?」

名前を呼ばないように、名前を呼ばれないようにして、距離を作り続けてきたけれど。


「私、皆に、名前で呼んでほしい」


皆のことを知りたいし、私のことを、知ってほしい。


「ぐえ」
「誰がだめなんて言ったのよ!」

綺麗な笑みを浮かべたレイヴンが、突如すごい声を出して、横向きに吹っ飛んでいった。
同時に不機嫌そうなモルディオさんの声。
何事かとあわてて視線を巡らせればば、そこには仁王立ちするモルディオさんの姿。
その後ろには苦笑いするユーリやカロル君__みんながいて。

私の前にずんずんと進んできたモルディオさんが、ぐい、っと私の頬を両手で掴んだ。
少し前、あのときと同じ状態で。

「モルディオ、さん・・・・・・?」
「私の名前、ちゃんと言ってみなさい!」
「__リタ・モルディオ?」

勢いに飲まれて、彼女の名前を口にすれば、くすぐったそうに彼女は口元をもごりとさせて。

「そうよ!私はリタ・モルディオよ!いつまでもモルディオだなんて呼ばないで!で?あんたの名前は?!
「__

さらに言い募られたそれに__ぽろりと、言葉は、口からこぼれた。

「そう、あなたの名前、っていうのね__」

なるほど、と頷いた彼女はゆっくりと私を離して、目の前にしゃがみ込んだ。
言いにくそうに、何度か言葉を探しながら。
けれど、決して目をそらすことはせず。

「あのね、私、天才なの。魔導器に関することなら、なんだってできるわ__あなたの帰り方だって、捜してあげれる」
「・・・・・・え?」

聞き返したのが悪かったのか、彼女はぎゅう、と手のひらを握りしめて、叫んだ。

「あなたの捜し物、私が見つけてあげるっていってんの!!」

だって、そんな、まさか、

「なによ、アレクセイはよくて__私じゃ、不満だって言うの?」

応えない私に、傷ついたような表情を浮かべたものだから、思わず、手がのびた。

「うれしい」

私が見つけられなかったものを、捜してくれるって。
私を助けてくれるって、そんなにうれしいことは、ない。

「ありがとう__リタ」

抱きしめたからだが腕の中でこわばる。
小さな体。
私はこの子をこの間思い切り突き飛ばしてしまって。

「ごめんなさい、リタ」

あなたの優しさから、逃げてばかりで、気づきもしなくって。
リタ、だけじゃない。
リタの後ろ、お姫さまが、ジュディスさんが、パティちゃんが、笑う。

「ごめんなさい、エステル、あのとき、あなたを助けられたのは私だけだったのに、手を出すこともしなかった」

アレクセイさんのところで、私だけが唯一そばにいたのに。
エステルが首を振る。

「あなたの優しさは、いつだって届いてたんですよ」

ふわりと、とても美しい笑顔で。

「ジュディスの言葉を、ちゃんと聞きもしないで」

ちゃんと私を見て、私に言葉をかけてくれたのに、笑ってごまかしてた。

「あら、今はちゃんと聞いてくれるのでしょう?それで十分だわ」

近くまできたジュディスが柔らかく髪をなでてくれて。

「パティちゃんの手を、掴むことも怖がった」

差し出された手に、温もりに触れることを恐れて、逃げ出した。

「うちの手は、今だって絶賛あいているのじゃ!」

ぱたぱたと走ってきたパティちゃんは、両手でリタごと私を抱きしめた。


どぼどぼと、流れ込む感情たち。
違う、ずっと、いたんだ。
ここに。
空っぽだと思っていたそこには、いつの間にかたくさんの声が、感情が、皆が、いて。
温もりが、熱が、胸にどんどん広がっていく。


「ね、配達ギルド__じゃなかった、

カロル君がゆっくりと私をのぞき込んできて、くしゃりと笑った。

「僕らが、家族になるよ。が寂しいなら、僕たちが一緒にいてあげる」

子供らしい無邪気さで、簡単に私の心をすくい上げる。

「そりゃーいいな、カロル先生」
「じゃあ私はお姉さんですね!」
「エステルとリタは妹だろう」

楽しそうなエステルにユーリがつっこむ。

「じゃあうちがお姉さんなのじゃ!」
「僕弟でいいよ!」

パティちゃんとカロル君が楽しそうに続けて。

「じゃあユーリがおかあさんです?」
「なんでだよ。ジュディだろそこは」
「私はお姉さん、かしらね?」

エステルの問いかけにため息をついたユーリ。
ころころとジュディスは笑って。




私は、この子たちが、彼らが、皆が、大好きだ。
この世界で見つけた大切な存在。

大丈夫、ってレイヴンが言ったから。

この世界で感情を、大切を増やしても大丈夫、って。


ならば、もう、この感情にあらがう必要なんか、なくて。






「おっさんは__お父さん?」

ひょこり、いつの間にか復活したのか、レイヴンが顔を出す。
先ほどまでとは違う、楽しそうな表情で。
だからこそ、その言葉はぽろりとこぼれたんだ。


「レイヴンがお父さんは、ちょっと」
「俺様ショック!!」

だって__

「__好きな相手を、お父さんポジションにしたくはないかなぁ」






!それってまさか!」
考え直せ」
「あんたおっさんはやめときなさい」
「あらあら、よかったわね、おじさま」
「え、え、どういうこと??」
「ふむ、ユーリ、うちらも進展したいのじゃ」




この世界の私の壁を壊したんだ。
大事な物を持たないでおこうとしていた私の壁を。

だから、その責任はとってもらわないと、困るなぁ









配達ギルドと心の壁

















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