ドリーム小説
カウントダウン 2
あの後、降谷さんは私に目を向けることのないまま、部屋を出て行った。
叶わないことなどわかっていたから。
言いたいことを言うだけ言ってすっきりした私は、悠々と布団に入った、けれど___
「ねすごした……」
最近とても優秀な目覚ましがいたから、油断していて。
そして連日の悩みが消えたからこそ、ゆっくりねてしまった。
むくり、起き上がりキッチンへ。
そこには一皿のお皿。
丁寧にラップを施されていたそれは、きらきらと輝いて見える。
開けるまでもなく、そこにあるのがサンドイッチだとわかって。
いつの間に入ってきたのか、とか鍵はどうしたのか、だとか。
ぼんやりと思いながら、今更か、という結論に達して。
かさり、ラップを取って立ったままでそのサンドイッチを口に運んだ。
降谷さんがみたら眉をひそめるだけの行為。
安室さんがみたら行儀が悪いですよ、ってそういってくるであろう行為。
でも、今は___これからは1人だから、誰になにを言われることもないわけで。
もぐもぐと咀嚼するこの一週間食べ慣れたはずの味。
美味しいけれど、その味は、この場所で食べ慣れた味じゃ、なくて。
これは___
「___安室透さんのサンドイッチだよ」
この場所では、降谷さんだった、彼が作ってくれたモノではなくて
この場所では、降谷さんでいれた、彼が手がけてくれたモノではなくて
うぬぼれていた、あの人に対して
この場所では、あの人は安室透ではなく、降谷零でいられたのに。
彼が、彼でいられる場所を奪ってしまった
安室透にならざるをえない状況に、私がしてしまった
ここでは、降谷零でいてほしい。
その願いを、私自身のせいで壊したんだ
私が、彼が彼でいられる場所を奪ってしまったんだ。
そう思うと、昨日言うだけ言ってすっきりした自分が嫌で仕方なくなって。
全部、自分でしでかしたことなのに。
しでかした、ことの、はずなのに。
無意識に見渡す部屋の中。
見慣れたその場所のはずなのに、物足りなくて。
視線をお皿に落として、もそもそと食べ終える。
食器を持ち上げる、と、そこからはらり落ちた一つのメモ。
___ポアロのバイトに行ってきます。今日は講義なかったでしょう?一日ゆっくり休んでください___
それは、どこまでも他人行儀な、安室透のことば。
それでも、あんな事をした後なのに、私を面倒みると言ったその1週間を、決してなかったことにはしない、大人な人。
ああ、やっぱり、好き
大ざっぱな行動で、少々口が悪くて、時折子供っぽく、意地悪げに笑う顔も
丁寧な物腰で、柔らかな口調で、大人びて、優しい色を浮かべる笑顔も
やっぱり、私は、降谷零が、安室透が、すき。
あの人の重荷になるから、閉じこめようとした私を押し出したのは赤井さん
相手にも失礼だと、自分から逃げるのは卑怯だと。
諦めようと思った。
諦められると思った。
でも、自分で思っていた以上に、私はあの人に心奪われていたようで。
私は、あの人がそばにいることを、幸福だと思ってしまっていたようで
「・・・・・・ポアロにいこう」
降谷さんに___安室さんに会うために。
「あ、ちゃん、怪我は大丈夫?」
静かにドアを押し開けて入ったけれど、狭い店内では自分の来店などすぐにわかるわけで。
カウンターからいつものかわいい笑顔で出迎えてくれた梓さんにへらりと笑う。
「梓さん、ご迷惑かけてすみません。もうほとんど痛くないので大丈夫です。来週には復活しますねぇ」
ぐるり、見渡せば一番奥の席に向かって安室さんは接客中。
ふわりと笑った安室さんに微かな黄色い声が向けられているのがわかる。
だって、あんなに素敵な人だもん
すきにならないわけがない
安室さんに会いたい、そう思ったけれど、いざ近くに来てみると、足がすくんで。
彼から目線をそらし、梓さんが誘導してくれたカウンター席に座った。
「なににする?」
「梓さんのコーヒーが飲みたいです」
かしこまりました、そう言うと彼女は笑ってコーヒーを入れ始めてくれて。
「いらっしゃいませ。___家でゆっくり過ごしてくださいって、言ったじゃないですか」
接客を終えた安室さんが、ひょこり、横に来て顔をのぞき込んでくるものだから。
少し怒ったように眉をひそめてくるものだから。
がたり、驚いてイスから落ちそうになった。
それを簡単に支えてくれるのも、安室さんなわけで。
「お、邪魔してます」
支えられた腕が熱い。
心臓がばくばくする。
昨日の夜、想いを伝えたときよりもずっと心臓はあばれていて。
「___さんも、動揺してくれるんですね」
驚いたような声。
まるで昨日の全てはお遊びだとそう言うような口振りで。
私が伝えた言葉全て、嘘だというように
「、___好きな人に想いを伝えた次の日まで、いつも道理でいる程、私、強いと思われてるんですか?」
少しだけ強くなった語尾
私が告げた言葉に、小さくざわめいた店内。
安室さんが先ほどまで接客していた女性客達がこちらをみているのが視界のはしに映った。
私の目の前でコーヒーをいれてくれていた梓さんは、頬を染めて楽しそうにこちらをちらちらをみてくる
そして、安室さん自身は綺麗な瞳を、少し驚いたように瞬かせて。
「昨日の言葉、何一つ偽りはないです、全部、本当の想い。」
落ちるのを防ぐために、と、捕まれたままの腕。
離される前に、その腕をつかみ返す。
逃げられる、前に。
距離をとられてしまう、その前に。
「受け入れてくれなくてもいい、応えてくれなくて構わない____でも」
蒼い、海のような美しい瞳に映った自分はひどく不格好で。
縋る、その相手は私なんかじゃどうしたって釣り合わないほどの相手で。
それでも、お願い。
この想いを、
「なかったことに、しないで」
私があなたに向ける想いを、ぜろにしないで。
あなたが想いを向けられるにふさわしい相手だと、ちゃんと理解して。
そっと目をそらして、つかんでいた手を、離す。
「居心地がいいって安室さんがそういってくれた空間で、あり続けたかったのに」
視界に入るのは、安室さんの褐色の肌。
私よりもずっと大きくて、いろんなモノを経験してきた手のひら
私なんかじゃ知り得ないほど、多くのモノを抱えているのであろうこの人。
「その場所を壊しちゃって、ごめんなさい」
何一つ、うまく行かないまま。
この関係は明後日にはもう、以前の他人に戻るのだろう。
「、」
安室さんが口を開くよりも先に、ポケットに入れていたコーヒーのお金をテーブルにおいて。
するり、イスから降りた。
「梓さん、コーヒーのお金おいてきますね、それ、安室さんが休憩のときに飲ませてあげてください」
笑え、笑え。
安室さんの記憶に、私の笑顔だけが残るように。
「安室さん、コーヒー、私のおごりですから、美味しく飲んでくださいねぇ」
さっきいった全て、忘れたように、へらりと笑った。
「じゃあ、さようなら」
そういって、入口のドアを開けて___
「さん!」
「ちゃん!!」
安室さんと梓さんの声。
店内に満ちた叫び声。
同時に背中にぬくもりが広がって、同時に首元に感じた冷たい感触。
「動くな!この女がどうなってもいいのかっ!!」
耳元で響いた興奮した声。
まさに昨日体験したものによく似た既視感。
赤井さんの言っていた慣れているのか?という言葉がよみがえる。
いや、慣れたくないし、そんな頻繁に起こっていいものじゃないだろうこれは。
どうしよう。
昨日と同じで自分じゃ何もできないから、と今し方別れを向けた相手である安室さんに助けを求める。
安室さーん、私じゃ何もできませーん
へるぷへるぷー!
私の視線を受け止めて……安室さん、今すごく残念な顔したよね?
そうじゃなくて、助けてほしいんだけど
「彼女を離していただけますか?」
ようやっと安室さんは犯人に向かって言葉を発した。
「うるせえ!金を出せ!!」
安室さんの言葉などどうでもいい、とばかりに男はさらに叫ぶ。
ぐ、と首元の冷たさが、増す。
じくり、痛みを、発した
昨日よりもずっと濃い、恐怖。
ぶるり、震えた体をこらえるように、もう一度安室さんをみた。
「___もう一度、言いましょうか」
安室さんの声が、低くなる。
かつり、一歩、こちらに距離を詰めてきた。
男はひるむことなくさらに刃を押しつけて。
まって、いたい、結構痛い
安室さん、早く助けてー!
安室さんの腕がゆっくりと上がっていく。
地面と平行になるまであげられたその腕。
人差し指がまっすぐにこちらにむけられていて。
「彼女を、離していただけますか?」
その瞳が、ゆるり、鋭さを増して___
「怪我、したくないでしょう?」
まるで降谷さんみたいに、笑った。
がん、っと響いた打撃音。
同時に消えた首元の冷たさ。
一瞬のうちに目の前までやってきた安室さんが私の腕を引き、その胸元に引き寄せた。
エプロン越しのその胸元にどくりと心臓が音を立てる。
「怪我は?」
耳元で低く響いた降谷さんの声。
大きな褐色の手のひらが、首もとにふれて。
確かめるようになぞる。
ぞくりとする感覚。
同時にじわりと感じた痛み。
微かな舌打ち。
安室さん、それ降谷さんちょっとでてるよね。
なにが起こったのか。
理解できず振り向こう、としたけれど、それは再度安室さんの胸元に押しつけられたことでできなくなって。
もごもごと言葉を発するが、それは全て意味をなさず。
「君、また君か」
響いた声。
それは、昨日聞いたばかりの声。
べしべしと離すように安室さんの腕を叩くけれど、効果がない!
「どうしてあなたがここに、と言いたいところですが___」
安室さんの胸元にすっぽりと包まれているから、彼の言葉がうちの方から響いてきて。
「今回は助かりました___1人でも対処できましたけどね」
礼を言いたいのか、憎まれ口を叩きたいのか。
いささか不明なところはあるが、それは確かな言葉なわけで。
「安室君。君が苦しそうだが?」
赤井さんの言葉。
赤井さーんもっといってくださぁい!
「気のせいですよきっと。」
否、安室さぁん、苦しいから。
べしべし主張するが反応はない
「ふむ___珍しいな、嫉妬、か」
「・・・・・・は?」
それは、思いもしなかった言葉を言われた、とばかりに。
珍しいくらいに間の抜けた声が、まだざわめいたままの店内に響く。
「___嫉妬?」
それはひどく小さな声で。
それはまるで初めて聞いた言葉のように。
「赤井さん、日本で左ハンドルは運転しにくいんですけど___、と?」
次いで聞こえてきた声。
もぞもぞと動けば今までの拘束がなかったかのように簡単にはずされた腕。
ちらり、見上げた先。
こちらをみないまま、呆然とする安室さんの姿。
声の主に目を向ければ、いつの間にそこにいたのか、同級生の大学生探偵の姿
ああ君が近くにいたから巻き込まれたのか。
深く納得。
「あれ、もしかしてまた巻き込まれたのか?」
「新一君、”また”とはどういうことかな。教えてくれるよね」
私から距離をとった安室さんの代わりに梓さんが私のところに来て、傷口を消毒してくれて。
梓さんすごく優しい!!
「で、さん」
苦笑いする工藤君から、くるり、視線を私に移した安室さん。
浮かんでる表情は笑顔、のはずなのにそこはかとなく怖い。
「また、っていうのは?」
あ、これ怒ってる奴だ。
思わず眼をそらそうとしたら、がしり、近付いていた安室さんに顔をつかまれた
あ、まってください、結構痛い
「から聞いてないですか?昨日大学構内でおんなじように人質になってるんですよ、そいつ」
工藤君んんん!別に素直に教えなくてもいいのにぃ!
「へぇ」
へらり笑った私の頬をつかむと安室さんは左右に引っ張った。
あ、それダメージ結構でかいんでやめてくださぁい!
「ちょうど新一君と待ち合わせしていた俺が、助けたから事なきを得たがな」
ねえ、安室さん??
さらに痛み増したんですけど!?
帰ったら、詳しくお話聞かせてくださいね?
そういった安室さんの眼は全く笑ってなかった。
今日はもう閉店にしよう、ポアロのオーナーの一声で、安室さんと梓さんは閉店準備をはじめて。
先に帰る、そう言ったけれど。
「危なっかしいので終わるまで待っていてください」
そう応えられれば、1人で帰ることもできないわけで。
やってきた警察に犯人を引き渡した工藤君と赤井さんも一緒に安室さんが終わるのを待つことになって。
「ふむ、先ほどの刃物か」
座って早々、赤井さんの視線が私の首もとに向けられた。
そういえばさっき梓さんに消毒液を塗ってもらったときも痛かったなぁ、と思っていれば、ぺりりと何かをはがす音。
赤井さんの大きな手が、私の首にのばされて___
びくりと体をふるわせるまでもなく、するり、長い指が傷口に触れた。
ぴりりとした痛み。
それをなだめるように、何かを貼られて。
確かめるようにその場所を指でなでた
「赤井さん、絆創膏なんて持ち歩いてるんですか?意外ですねぇ」
「妹がやんちゃなものでな。最近持ち歩くようになったんだ」
赤井さんの妹。
想像つかないけれど、赤井さんは結構なイケメンなわけで。
きっとかわいい子だろうなぁ。
そんなことを考えていれば___
「確かに世良、よく怪我してるからなぁ」
「・・・・・・、え?」
工藤君、今なに言った?
私のよく知ってる子の名前が聞こえたんだけど?
「ああ、言ってなかったっけ?赤井さんの妹、世良だよ」
「世良って私が良く知ってる世良ちゃんのこと?」
「ほお、妹とも友人か。いつも迷惑をかけているだろう?」
途端兄の顔になった赤井さん。
脳裏には世良ちゃんが浮かんでいるのか、目尻を優しくゆるめている
「迷惑なんて、とんでもないです。むしろ私がお世話になってばっかりで」
世良ちゃんと赤井さん。
全然結びつかなかったけれど、言われてみれば確かに目元がよく似ていて。
世間って狭いなぁ、としみじみと感じた。
鳴り響いた工藤君のスマホ。
画面を見た彼の顔は微かにほころんで。
「赤井さん、、ちょっと電話出てくる」
そう言って外に出て行った工藤君を見送って。
「毛利さんだったら直接上の階にいけばいいのにねぇ」
「電話だと面と向かって話さない分、言いたいことも言えるんじゃないか」
なるほどねぇ
電話、かぁ
ちらり、カウンターの中で動き回る安室さんをみる。
安室さんからかけてきてくれたことはあったけど、話をしたことはないなぁ
ぼんやりと眺めるその後ろ姿。
すらりとした背。
褐色の肌。
光を反射してきらきらと光る髪
目を奪われるくらいに綺麗な瞳。
まぁ、面と向かってでも結構なんでも言っちゃうからあんまり意味ないな。
と、いう結論に落ち着いたけれど。
「で、何か進展はあったのか?」
私の視線をたどるように、安室さんに目をやって、赤井さんは突然そう聞いてきた。
「へぇ、赤井さん、そういうの聞いちゃう人なんですねぇ」
少しだけ、ごまかすように言えば、淡々とした返事が、返ってくる
「少々関わったからには気になるもんでな___」
「そうですねぇ、当たってみましたよ?」
私の言葉に赤井さんは楽しそうに瞳をすがめた。
「ほお?砕けてはいないのか?」
「全力で好きですって伝えたんですけどねぇ」
砕ける、まではいっていない。
あの時の拒絶は確かだったけれど___それでも、はっきりと断られたわけではなくて。
赤井さんに視線で先を促されたまま言葉を続けた
「君に想われるような、綺麗な存在じゃない___って」
___やめてくれ、俺は、君に想われるような、綺麗な存在じゃない___
浮かぶ降谷さんの表情は、確かに戸惑いを纏って
綺麗なその瞳には、困惑があった。
それでも、決して、いやがるものではなかったように、思う
「なるほど」
どことなく楽しそうな赤井さんに、私自身話すことが楽しくなってきて
「___どんなに私を綺麗な存在としてみてるのかなぁって思っちゃいますよね」
汚れていない、まっさらな存在なんて、生まれたばかりの赤子くらいだというのに。
「あと___釣り合わない、って言われたんですよぉ」
___僕は、君には釣り合わない___
「釣り合わないだなんて、安室さんが私に釣り合わないんじゃなくて、私が安室さん釣り合わない、っていうのにねぇ」
ハイスペックな彼に釣り合わないのは私だというのに。
あの言い方ではまるで___
「期待するなっていう方が無理だな」
「やっぱり、そう思っちゃいます?」
私をにくからず思ってくれてるんじゃないかって、そう期待せずにはいられないじゃないか
「まあ、安室君の考えてることもわかるが」
赤井さんの言葉に彼をみて、一度、二度、瞬きを返す。
「同じ男性として?」
「同じ志を持っていた人間として」
こてん、と首を傾けた私に倣うように、彼も首を傾けた。
___同じ仕草のはずなのに、なんかびっくりするくらいにかわいい。
なんなのこのひと。
「赤井さんは古くから安室さんとお付き合いが?」
「彼からすると不本意な形だろうがな」
ずっと疑問に思っていたことを問えば、曖昧な返事。
まあ安室さんの事を他の人から聞きたくはないのでそれは構わないのだが。
「なんか嫌われてますもんね」
「こちらとしては嫌ってるつもりは微塵もない」
わかる。
すごく一方的に安室さんが赤井さんに敵意を向けているだけだと。
「じゃあ、同じ志を持った同士、のよしみで一つ___あの人と共にいることを、願い続けてもいいと、思いますか?」
「まさに、君次第だな。君はすでに安室君の中に入り込んでいるようだ。後は___いかに彼の頑なな決意をこじ開けるか、と言ったところか」
付き合いたいとか、そんな明確な形じゃなくてもいい
期待できないのであれば、ただ、気持ちを伝えたかっただけ、だなんて。
そんな、控えめなままの女の子じゃ、ないんだ。
正直なところ、私は欲張りなもので。
ほしいモノは、ほしい。
安室透が、降谷零が、彼が、手にはいるのならば
ほしいんだ
「彼にはそろそろ幸せが必要だ」
「私は、安室さんに幸せをあげれますかねぇ」
「君ならば。十分だろう」
ゆるり、伸ばされた手が頭に触れて。
くしゃり、かき回された。
大きな手のひらに温もりは私じゃ持っていないもの。
「安室君には幸せになってほしいと、願っているものでね」
「余計なお世話ですよ」
赤井さんの心地よい声と体温を眼を閉じながら受け入れていれば、響いた声。
同時にべしり、たたき落とされる音と消えていく体温。
瞬時に眼を開ければ、眼に優しいミルクティーのような甘い色。
「赤井に願われる幸せなど願い下げです。帰りますよ、さん」
言葉と同時に腕を優しい強さで引かれて。
それに従うようにイスから降りる。
「君」
ちょい、と指先で呼ばれて、腕は安室さんにつかまれたまま素直に彼のそばに戻る。
と、
「ほ、」
「な”?!」
頬にふにゃり、生ぬるい感触。
ちう、と耳元でのリップ音
そういえば、世良ちゃんは帰国子女だ。
赤井さんも挨拶なんだろうなぁこういうの。
「Good luck、君」
めちゃくちゃいい発音!
これは私もお返ししなきゃいけないかな?
時折世良ちゃんに頼まれてやるように、赤井さんの頬に顔を近づけて___
「ぐえ」
「必要ない!ここは日本だ!」
おなかをすごい力で圧迫された。
見下ろせば褐色の腕。
まあ安室さんしかいないんですけどね!
そのままずるずるとおなかを圧迫されたまま店のドアまで引きずられて。
「またな、君」
ひらり、手を振った赤井さんに同じように手を振り返す。
「二度と会わせるか!」
「ほぉ?なんだ安室君は君が俺と会わないように___共にいるつもりなのか?」
「っ」
あ、まって、そこでフェードアウトしちゃうんですか?
安室さん、なにも!いいかえさないんですか!?
赤井さんの言葉に答えずに安室さんは全力でドアを閉めた。
安室さんの車の助手席にぽい、っと放り込まれた。
ふっかふかの座席が受け止めてくれたから痛くはないよ!
そのまま安室さんは運転席に戻る、と思いきや、どこからか取り出したハンカチで私の頬をごしごしとこすりだした。
そこは先ほど赤井さんの挨拶を受けた場所で。
ちょ、安室さん、痛い、ほっぺたいたい!
もげそう!!
ばんばんと痛みを訴えてみるけれど、すごい!全く考慮してもらえない!!
絶対これ真っ赤になってる___
「帰ったらちゃんと消毒するからな」
えぇ、まって、絶対ひりひりする奴じゃないですかぁ
あと気づいたんですけど、いつの間にか降谷さんになってますね・・・・・・!
むすりとしたまま運転席に乗り込んだ降谷さん。
ちらりとみた横顔。
昨日まるっと暴露したから、もうなにも怖くないわけで。
穴があくほどじいっとその端正な顔を長める。
「___、気が散る、鬱陶しい」
あ、やっぱり降谷さんだ。
それだけで、なんだかじわりとうれしさがこみ上げる。
「ごめんなさぁい」
謝りながらもまったく反省の色はでず。
ただただ、降谷さんがそこにいる、という喜びをかみしめながら自宅へと戻った。
「座れ」
「もちろんですー!」
自宅に入り、ぴりぴりとしたままの降谷さんの後ろをひょこひょこついていく。
指し示されたこたつのそばにすぐさま座り込んで、降谷さんを見上げる。
どこからともなくもってこられた救急箱。
箱を抱えたまま目の前に座った降谷さん。
いつも___夜、湿布と包帯を巻いてもらうときの距離感。
けれど、昨日の夜、なかっただけでとてつもなく久しぶりに感じて。
「なにわらってる」
むすりとした降谷さんにへらり、笑い返す。
「降谷さんのすぐそばにいられるのが、嬉しいんですよぅ」
隠すことなく伝えれば、虚を突かれたように彼は息をのんで。
そのままくしゃり、綺麗な髪をかき回し、ため息をついた。
のばされた腕。
避ける理由もないので、甘んじて受け入れる、と
「っ、」
べり
約1時間ほど前、赤井さんによってつけられたばかりの絆創膏、が、あっけなくはがされた。
けれど躊躇なかったため、地味にいたい
「降谷さん、せめて一言ほしかったです」
べり、とはがした絆創膏を嫌そうにみて、そのままゴミ箱へ放り込まれた。
「赤井に貼られたものだと思うだけで虫酸が走る」
そんなにか
「___思ったより切れてるな」
するり、指が、喉元を、なでた
赤井さんの時とは違って、ぞくりと、する。
「、っ、」
ぴたり、動きを止めた降谷さん
小さく声が出たのに驚いて、口を手のひらで覆う。
ふらり、さまよわせた視線が、ぴたり、降谷さんの宝石のような瞳に射止められた。
呼吸が、とまる。
くらり、お酒を飲んだときのような酩酊感。
不意に綺麗な瞳が伏せられて、ようやっと呼吸ができるようになる
と、
「、ぅあ」
喉元、べろり、生ぬるい感触
先ほどの比ではなく、ぞわぞわと背筋を何かが這い上がり、痛みを感じるはずのその場所が熱を発して。
漏れた声は自分のが発したとは思えないほどの色を含み、それを聞いた降谷さんがさらに深く、貪るように這い回る。
思わず逃げそうになった体。
それを逃がすまいとするのはいつの間にか腰に、後頭部に回された降谷さんの手。
がしりと逃げ道を与えぬようにつかまれたそれに、それらに、翻弄される。
抜けていく力のまま、その柔らかな髪にふれて___
「っ、るや、さっ」
微かな力で引っ張れば、はっ、としたように降谷さんの唇が喉元から離れて___
「ったああ!!」
がぶり、結構な力で噛みつかれた。
ものすごくいたい!
最後にもう一回、べろり、舐められた後、降谷さんはようやっと私と距離をとると___
「消毒」
などとのたまいやがった。
「降谷さん!痛い!私痛いの嫌いです!!」
べしべし、彼の腕を叩く。
しかしながら片手でいなされて。
「好きだと言われても困るな」
そりゃそうだ。
そういう性癖はもってないし、持ちたくもない。
ぺしり、最後にもう一回その腕に触れて、ため息を一つ。
先ほどまで熱にうなされていたその息は、どことなくこもっているように、感じた。
「せっかく腕はほとんど治ったのに、降谷さんのせいで新しいところに怪我しちゃったらどうするんですかぁ・・・・・・」
つぶやいた言葉。
私のそれに、降谷さんはぴたり、動きを止めた。
ゆるり、再び向けられた瞳。
ばちり、先ほどと同じように射すくめられて。
ふわり、微かにほほえまれた。
「そうか___お前の怪我が治る前に、新しい傷をつければ___お前のそばにいる絶対的な理由になるな」
「降谷さんっ!?」
なんか怖いこと言ってる、この人!!
って、叫びたかったのに。
ぶわり、体中に熱が、あがる。
私に傷を付けて
そうやって、理由をつけなきゃそばにいてくれないのか、とか
私に傷を付けて
そうやって、治療を名目にしてでもそばにいたいと思ってくれてるのか、とか
思ったことはたくさんあって。
でも、でも、それでも、
「理由が、あれば、私のそばにいてくれるんですか・・・・・・?」
「理由を付けなきゃ___お前のそばは怖いっていったら?」
困ったように、降谷さんが私をみながらつぶやいた
呼吸が、苦しくなる。
さっきよりも、ずっと。
どくどくと音を立てる心臓は、降谷さんの言葉の意味をその真意をはかりかねて。
私の思うように理解しても、いいものなのか
「理由を付けてでも、私のそばにいたいと思ってくれてるんですね・・・・・・?」
少しだけ、言い方を変えて。
自分の言いように言い直して。
改めて問いかけたそれに___
「理由を付けなきゃ___俺はきっとお前から離れられなく、なる」
降谷さんは観念したみたいに、笑った
その表情は初めて見るもので、胸の中が一杯になって、叫び出したくてたまらなくなる
向かい合って、座りあったまま。
こつりと額を重ね合わされて。
内緒話をするみたいに、声が潜められた。
「なんとなく察してるかとは思うが___俺は口外できない危険な仕事についている」
ぽつり、漏らされたそれ。
きっと、これすら本当は話してはいけないこと。
「この休みが終われば、また危険の中に身をおくことになるだろう」
危険
日常生活からかけ離れた響きを持つその言葉。
それが、この人が身を置く場所
「だから、お前のそばに居心地の良さを感じてしまっている今の状態は、まずいんだ」
私のそばは居心地がいい、改めてそう言われたら、言われて、しまったら___
「降谷さん、それは私を遠ざける理由には決してならないですよ」
離すわけには行かなくなるじゃないですか。
「つきあいたいって、そう思わない訳じゃないです。でも、」
でも、それよりも、私は、私は___
「安室さんの帰る場所になりたい」
疲れたあなたをお帰りなさいって抱きしめられるような場所に
「降谷さんが、帰らなきゃって思うような場所に」
荒んだあなたをお疲れさまって労れるような場所に
「少しでも、安心して降谷零でいられる場所に、なりたい」
あなたが、あなたでいられる、そんな場所に
「降谷さん、私じゃ、そういう場所になれませんか?」
「十分すぎるから、困ってるんだ」
そういってため息をつく降谷さんの頬にふれて、至近距離の宝石を見つめて、笑い返した。
「降谷さん、大好き」
明確な答えは、くれないけれど。
それでも、降谷さんは軟らかく笑い返してくれたから。
「赤くなってる」
彼の手が触れてきたのは私の頬。
先ほど車の中で丹念にこすられたその場所。
赤くしたのは自分だというのに。
彼の顔がさらに近付いて、今度は頬に生ぬるい感触。
ぴりりと痛みが走るけれど、それよりも思ったのは___
「降谷さん、赤井さんと間接ちゅうですね」
ぴしり、動きを止めた降谷さん。
ゆっくりと肩をつかまれて、そっと距離をとられる。
前髪に隠れて、その瞳は見えない。
が、
「お、ま、え、はっ!」
あげられた顔。
瞳にはわずかな怒り。
がしり、肩に置かれた手の力が、強くなった。
「何でこういう雰囲気の時にそういうことを言うんだ!!」
そのまま、ぐい、と引き寄せられて距離はゼロに。
「口直しにつき合え!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、呼吸は奪われた。
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