ドリーム小説
逃げ脚だけは一流です 23
国にいたときであろうと、ほとんど戻ることはなかった屋敷。
本当なら王宮の自室にでも仮眠をとれるところはあったのだ。
それでも屋敷に戻ろうと思ったのは、彼女がいたから。
死んだ、と思っていた。
バチカルで姿が消えて、イオン様と共に浚われていたことがわかって。
そして、そこからぷっつりと消息が途絶えた。
「あの薬師がおまえ達を待っているだろう」
崩壊するあの街で、ヴァンが去る間際に告げた言葉。
それを聞いた瞬間胸に重いしこりが残った。
結果的にあの街で私たちは生き残ることになったのだが、彼女が生きている期待はもてなくて。
軍人として生きてきた私が、人の死を受けいれるのは息をするのと同じくらい簡単で自然なことで。
だからこそ、死んだはずの彼女が、この世界にいないはずの彼女が、この世界でまだ存在していることを知ったときは、柄にもなく動揺した。
胸の奥で心臓が安堵するかのように音を立てた。
名前を呼ぶ
涙を流す
笑いかける
それら、ただの行為がどうしようもないくらいに、うれしいと、感じた。
私よりもルークとの会話を優先したり
あのキムラスカの軍人と親しげな表情を浮かべるのに対して、じとり、胸の中で生まれる不快感。
それらの感情が意味するところを、私は理解していた。
それでも
それでも理解しているからこそ、知らないふりをしていたかった。
自分の屋敷に充満する薬の匂い。
まるで彼女の所有物になっていくかのようで。
他人の屋敷のように感じる。
さも自分の家でもあるかのようにお茶を入れ、私の前に座り込む。
そして、それはそれは楽しそうに薬のことについて話し出す。
役にたてたならよかった。
彼女の薬の技術には目を見張るものがある。
そして、その効果にも期待ができるもので。
どんな薬を作ったのか、問えば嬉しそうにはにかんで答える。
答えが、返事が存在することに今更ながらに甘くうずきを感じた。
簡単に言葉を紡いでいた唇が、躊躇を含む。
先を促せば、ゆるり、視線をさまよわせて。
そして、私を見つめた。
「音素の、乖離を、止める薬」
かちゃり、みっともなく手元が震えた。
「なぜ、それを作ろうと?」
どうして、その言葉が頭を回る。
彼女は知らなかったはずだ。
私が作り上げた罪を。
口からついて出た言葉に、なぜか彼女は笑う。
「あのこのこれからに、必要だから」
まっすぐにこちらを見る、黒い瞳が、私を射抜く。
「あなたは、本当に理解ができない・・・」
思わず口から言葉がこぼれた。
それは、彼女に、に対するすべてを表すのに最も最適で。
けれども、彼女ならば、望む言葉をくれるのではないかと、錯覚を起こす。
この罪が、許されるのではないか、と錯覚を。
「ジェイド、さん?」
ゆっくりと立ち上がり、との距離を詰める。
不思議そうにこちらを見やる姿が、どこか幼くて。
手を伸ばして、頬にふれる。
ぬくもりが、確かにそこにあることに。
じわり、心臓が歓喜の音をあげる。
「」
名前を呼べば、まるで犬のように体を震わせて、おずおずと視線を合わせる。
黒く、すべてを悟っているかのような瞳が私を移す。
「あなたは、私の罪をご存じで?」
レプリカという人道に反した存在を作り上げる技術を発明したこと。
それは私の人生における最大の成果で最大の罪。
私がもしも過去に戻れるならば、過去の自分を殺してしまいたいと、そんな幻想的なことすら考えてしまうほどの。
だと、いうのに。
「一概に、罪とはいえないのでは?」
彼女はあっさりとそういった。
不思議そうに、それこそ、今日の晩御飯はなんだろうね、そんなことを話すかのように。
「だって、そのおかげで、私はルークたちに出会えた」
ルーク
レプリカの存在。
私が作り上げた罪を象徴するかのように私の前に現れた彼。
でも、彼に会えたことが、私のおかげだと、彼女は告げるのか。
「あなたのおかげで、世界は多少なりとも救われた」
私は世界を救えるような、そんな存在ではないというのに。
彼女が言葉を口にするたび、それが真実のような気がしてきてしまう。
じわりじわり。
心臓が、許しを請うこの感情が、を、目の前の彼女を求める。
「あなたの技術で私はこれからの未来を描き出せる」
は、とてもきれいに笑った。
「レプリカの技術を開発してくれて、ありがとう」
言い知れぬ感情が、あふれでる
気が付けば、その体を腕の中に閉じ込めていた。
私の過去を暴くこの存在が
憎い
私の過去をも笑顔で解そうとするこの存在に
苛立つ
けれども
この存在は、確かに私の中に今までなかった感情を生み出す。
私の知りえなかった感情を、簡単に私の中に埋め込む。
なんて不可解で自分勝手な存在
それらすべての感情が一つの感情に直結する
愛しい、と
私をまっすぐと見つめる瞳が
私の名前を呼ぶ声が
様々なものを作り出せるこの手が
私が知りえることができなかった感情を与えるものが
というこの存在が
この存在が欲しい
「あなたはっ、ほんとうにっ!」
その先に続く言葉は、自分でも声に出すことができなくて。
ただ、背中に回された腕が温かいと感じた。
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