ドリーム小説
ほとんどないも同然の与えられた自室。
ふとんをあげて、掃除をして、部屋を整えて。
いただいた衣服を風呂敷に包んで。
たったそれだけの行動で、この場所にいたという証拠はどこにもなくなった。
仕事を紹介してくれると、学園長さんはそのように言ってくれたが、いかんせん常識すら分からない今の自分が働ける能力があるのか。
甚だ疑問ではあるが、それでもその好意に甘えるのが今一番自分が生きていける確率が高いものでもあって。
からり、小さな音を立てて開いた襖に目を向ければ、ひどく不機嫌な表情をしたあの子が立っていた。
「摂津のきり丸っす。」
自己紹介だけをされて、行きますよと声を放たれて。
行きかう人々にありがとうございますと言葉を述べて。
そうしてつくのは門。
大きなそれは、この場所からの出入り口。
私が出ていく場所。
「住み込みのバイト、一個あてがあるんで。」
ただ短編的に述べられたそれが、今からの行き場所であると、そう示す。
門を出たところで、くるり、振り返るその子。
藍色の髪がとても綺麗だ。
「手。」
手を伸ばされて、そういわれて。
戸惑いながらもそれに自分の手を重ねれば、ぐい、と引かれるからだ。
同時にぐるりと世界が回る。
今まで目の前にあった世界は変化して、目の前には地面が広がる。
おなかにかる圧迫感からどうやら担ぎあげられたことを理解すれば、足の方。つまりこの子の顔がある方から言葉がかけられる。
「早く終わらせたいので、担ぎます。目と口を閉じておいてください。」
ぴしゃりと、突き放すいい方。
でもそれにこくりと頷くことで返す。
同時、ぐんっ、と後ろに流れ出す世界。
体中にかかる風圧に耐えきれずぎゅ、とその目の前の体に縋りつけば、心なしか自分を支える腕の力も強くなる。
早く終わらせたいのはもちろんだろう。
けれどもきっと、これはこの場所に二度と戻ってこれぬように。縋ることなどできぬように。
たった一つ、たった今まで存在していたその場所を、もう忘れてしまえるように。
忍びを育てる学び屋としてはしごく当たり前の、それでいてとてもとても優しい心。
まわされた腕が、小さく小さく聞こえる吐息が、その温もりが、この子を生きているのだと全部であらわしていて。
「本当は俺が行く予定だったんっすよ。」
「思ったよりも長期で募集かけてたんで、駄目になったんですけど。」
にぎわう街。
そこに入る少し前に降ろされて、目的の場所へと足を動かしていれば告げられる詳細。
「ちょうどいいからあんたに紹介しろって土井先生が。」
口調は淡々としているが、雰囲気はどこかむすりとしていて。
どう見ても本望ではないことがうかがえる。
それは、ひどく、人間であるということを示していて。
どうしようもないくらい、嬉しくなった。
あの忍を育てているというあの場所で。
それでも笑みを浮かべながら
感情を殺すことなくいられることが。
「住み込みの女中の募集だから、まあ仕事はそんな感じです。」
足を止めて、見上げた先はなかなかに裕福そうなお屋敷で。
「話、つけてきますんでここでまっててください。」
こちらをちらりとも見ないまま彼は門番へと話をつけに行く。
その背中は、もう、あの時茫然と立っていただけの少年ではない。
「すみません、それではよろしくお願いします。」
まるで保護者のように笑って頭を下げるきり丸くん。
へらり、と表面だけの笑みで私を見て。
「んじゃ、さんも、これで。」
あっさりと、簡単に手を振って離れていく背中。
もう、二度と会わないであろうその子に。
「っ、君!」
気がつけば声をかけていた。
「・・・なんっすか。」
最後だから、もう会わないから。
だからどうしても伝えておきたかったんだ。
「もう泣いていなくてよかった。」
まぶたの裏にこびりついた泣き顔。
「元気でいてくれてありがとう。」
茫然とただただ何も感じることなくある姿。
「笑っていてくれて、すごくうれしい。」
私では与えることのできなかった表情を。
「その笑みをなくさぬよう。」
笑って、怒って、喜んで、そうして泣いて。
感情豊かに、忍びとしては欠点かもしれないけれど、心を大事に。
そして願うのは一つだけ。
どうかどうか、
「どうか、生きて。」
怪訝そうな表情にもう一つ笑って。
そうして私は一人になった。
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