ドリーム小説
「きり丸、おかえり!!」
この温かな箱庭で、俺はあと幾つ夜を迎えることができるのだろうか。
「摂津のきり丸っす。」
医務室の横、誰も住んでいなかった場所。
そこが今の彼女の居場所だったらしい。
学園長先生に呼びだされて、またいつものように忍務か何かと思えば全く違うこと。
「彼女をどこか連れて行ってあげなさい。」
なぜただの女である彼女にそんなにも優遇するのかと問えば、三反田先輩を救ってくれたからとのこと。
その割に、この場所にい続けなさいという言葉をかけないところが食えない人だ。
気配のないその部屋の襖を開ければ何もない部屋。
ただその人がぽつり、その場所に突っ立っているだけの部屋。
かちあった視線に音を立てた心臓を無視して自分の名を述べる。
そうして淡々と用件だけを話して足を外へと向けた。
すれ違う子たちにありがとうと頭を下げて。
さよならと手を振って。
そうしている様子はただの女性。
だというのに、ふとした時、遠くを見る瞳はひどく希薄で、目を話せば消え失せてしまいそうな危うさがあって。
(ばかばかしい。)
気づかれぬように盗み見たその横顔。
そんな意味のわからない感情を放り去って、小松田さんの出門表に名前を書く。
さっさとこのよくわからない感情と別れてしまいたい。
この人の足に合わせればきっと長い時間がかかってしまう。
手を差し出して促せばそっと重ねられる温もり。
じわり
柔らかなそれに、また一つ感情が音を立てた。
ぐいと引っ張って、腰に手をまわして。
担ぎあげれば鼻孔を擽る甘いにおい。
柔らかな体は日に焼けておらず白さが目立つ。
想像していたよりもずっとずっと軽いそれに少々驚きを感じながら一歩、足を踏み出す。
どくどくと音を立てる心臓を必死でなだめながら。
早く終わらせてしまいたいだけで、
学園の場所を教えない為で
戻ってこられないように
一人で生きていかせるために。
そのために、ぐっと足に力を入れてさらに速度を上げる。
耳元で小さく息をのむ気配。
それにすら心臓が音を立てる。
ぎゅっと服を握られて、この人のか弱さを知る。
ああ、頼むから、頼むからこれ以上わけのわからない感情を増やさないでくれ。
さらに力を入れて足を踏み出した。
「本当は俺が行く予定だったんっすよ。」
にぎわう街。
入る少し前にその人の体を降ろして。
目的の場所へと足を動かしながら状況を告げる。
「思ったよりも長期で募集かけてたんで、駄目になったんですけど。」
もともとはとある先輩がいいお金になるんじゃないかと教えてくれたアルバイトの一つ。
できることなら自分で参加したかったけど、期間が長すぎて泣くなく断念。
「ちょうどいいからあんたに紹介しろって土井先生が。」
無表情を装ってはみているけれど、どうみてもそれは不完全で。
忍びとしては落第点だ。
気がつかれないようにため息をついて目的地を見上げた。
「住み込みの女中の募集だから、まあ仕事はそんな感じです。」
早く離れてしまいたくて、その人の顔を見ることなく足を進める。
「話、つけてきますんでここでまっててください。」
「すみません、それではよろしくお願いします。」
まるで保護者のようだと感じながらも最後だからと笑みを浮かべて見せる。
ぞわり
改めて真正面から見たその瞳に、感情が、かき、みだ、される
「んじゃ、さんも、これで。」
慌てて手を振って、踵を返して。
さっさと、あの温かな場所に帰って、全てを、忘れてしまいたい。
そう思って一歩足を踏み出したのに。
「っ、君!」
かけられた声に、足を止めていた。
「・・・なんっすか。」
振り返ってしまっていた。
「もう泣いていなくてよかった。」
その言葉に、頭が真っ白になった。
泣いた?
俺が、いつこの人の前で泣いたというんだ?
会ったのはこの間が初めてで、名前以外何も知らないこの人に、自分の弱みを見せたはずなど、ない。
追いつかない考えの中、それでも彼女は言葉を紡ぐ。
「元気でいてくれてありがとう。」
意味のわからない言葉の羅列。
なぜお前にそんなことを感謝されなければならない。
「笑っていてくれて、すごくうれしい。」
耳に伝わるそれは、ひどくあいまいで。
なんで、俺が笑うだけで嬉しいというんだ?
「その笑みをなくさぬよう。」
とてもとても、悲しげに嬉しげに、
世界中全ての感情を含めたような笑みで、
その人は、
「どうか、生きて。」
笑った。
締められた扉の奥、ただ、その優しい声が、穏やかな雰囲気が、
意味のわからない言葉達が、頭に残って。
俺は決してあの人の前で泣いてなどいないのに。
それどころか、俺が最後に泣いたのは、あの時だというのに。
あの日、あの時、あの場所で、全てを無くして泣いた時以来、
一度も泣いていないというのに。
まさかまさか、膨れあがるまさかの感情を、押し込めて、閉じ込めて。
そんなことなどないと、そんなわけなどないと、自分自身に言い聞かせて。
「いったい、なんなんだよ、あんた。」
呟いた声はひどくちっぽけなものだった。
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きり視点
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