ドリーム小説









 宵闇  漆拾捌















眠れない。

そう思い、そっと医務室から庭に出る。

いつもであれば居るはずの保健委員だけれども、が居る間中常に医務室に居た彼らだから、今日は戻るように頼んだのだ。

少し顔でも洗ってこれば気分も変わるかと思って、井戸に向かう。


と、そこには先客がいて。


その子はぼおっと月を見ていた。


彼の瞳に映るのは彼の女か。

警戒もまったくしないその姿に少しの苦笑がもれた。


「摂津のきり丸。」


その名を呼べば、びくり、震える体。

ゆっくりと振り向いた瞳はどこか虚ろで。

その顔色は月明かりでも解るほど良くなくて。


眠れないのであろう、彼に無意識に言葉は零れ出た。

「おいで、きり丸。」

断るかと思われたそれは、しばしの瞬時の後肯定の意を持って返された。



「はい。お饅頭とお茶だ。」

ことりと微かな音を立ててきり丸の前にだす。

そこはの部屋。

医務室からまだ帰るなとは言われていたがもういいだろう。
そう思いながら向かった。

ここにつくまで、彼はただ、無言で後を付いてきただけ。



彼女が帰って皆が悲しむ中、この子が一番動揺が大きかったのではないだろうか。

彼女に亡き母を投射し、姉のように慕い、解らないことは妹のように教えていた。

そんな彼女が居なくなって、この子はどれだけ悲しんだのだろうか。



解らないそれらをが口に出すことはできなくて。



ゆるり流れる暗闇の時間。
部屋の中に微かにともるは蝋燭の光。



どれだけの時間が流れたのか。


が静かに湯飲みを傾けていたとき、その小さな声が響いた。


「・・・あなた、は・・・」

「ん?何だ?」

その次を発するのに躊躇するようにきり丸は視線をうろつかせて。
そうして意を決したようにを見る。

その瞳はとても鋭くて


「・・・あなた、は、、先輩は、・・・彼女と同じところからきたんですよね・・・?」

それは確認のようで確信。

それに一つ頷くことで答える。


「だったら・・・彼女と同じことは、言わないんすか?」


元の世界に帰るのだとか、どんな世界だったのかだとか、どうやればそこに行けるのだとか。
想像していたものとはまったく違う質問。

それに微かに驚きながらも答えを探す。


『__誰も傷つかないでほしいし、傷つけないで欲しい。__』


思い出すのはその言葉。


がその言葉を言わなかった理由はとても、簡単。


「俺は、この世界で暮らしているから。」

その期間はとても短いと言えるようなものじゃなくて。

「生きるためにはそんなことを言ってられないだろう?」

その瞳をまっすぐと見つめて。

「それに___」


それを言うには俺は汚れすぎてしまったから。


「・・・それ、に・・・?」

「・・・俺が言ったところで、何が変わる?この世界?みんなの心?」

聞き返してきたそれを曖昧に交わして問い返す。

「そ、れは・・・」

「俺が言ったって世界は変わらない。昨日までと同じようにただ日々を繰り返していくだけ。みんなの心?そんなのこの場所に居るのはそんなに意志が弱いやつばかりじゃない。」


そう。

たとえだれかが死んでも、この世界は昨日とはなんら変わりなく時を刻んでいく。

ここに居るやつらはの言葉一つで変わるような弱い意志を、軽い気持ちを持っているわけじゃない。


あの言葉は、が言う資格を持たないもの。


この世界を異常と感じている、彼女だからこそいえたこと。
この世界で生きていかない彼女だからこそいえること。


だから、はその言葉を奇麗事として受け取り、彼らの心に深く染み付いたのだ。


「なんか俺、勘違いしてたみたいっす。」

ゆっくり再び開かれた口から零れた言葉は、どことなく吹っ切ったようなもので。
見れば先ほどまでと違う柔らかな笑み。

先輩は雅さんのことが大嫌いで大嫌いで、だからこそあの人を追い出そうとしてたんだと思ってました。」

そうしてひとつ笑い声を漏らしてそして悪戯そうに笑って。


「でも、先輩はただこの世界を、綺麗なままを記憶していて欲しかったんですね。雅さんが傷つかないうちに、雅さんが恐ろしいことを知らないうちに。」

「先輩が知っている世界に、雅さんが帰れなくなることがないように。」


それらはとても大人びた言葉で、その表情も同じようで。

心の中で一つ溜息をつく。

そんなきれいな思いではなかったのだけれども。

ただただ、元の世界に帰れるかもしれない彼女に嫉妬して、汚れなき彼女に劣等感を覚えていたというのに。

そういう考え方もあったのだと。


そっときり丸の表情を見れば笑っているのにどこか儚くて。


そっと手を伸ばしてきり丸を抱き寄せた。


微かに体を揺らしたのが愛しい。

優しく抱きしめてきり丸の肩元に顔をうずめてそして耳元で言葉を発す。



「摂津のきり丸。泣いていいよ。というかむしろ泣け。」


躊躇するように体は動いて。

それをきつく抱きしめることでとどめて。


「この場所で泣いて泣いて、そうして全てを吹っ切るのは無理でも、気持ちを切り替えろ。」


それにゆるり体は揺れてそしてそっとまわされた腕が微かに力を増す。


「ここでは俺しか見てないから。」


そういえば引きつったような声が聞こえてきて。



「雅さんが帰ったのは、帰れたのは、うれしいことのはず、なのにっ、」


絞り出すような声。


「納得っ、できない、自分が居てっ、」


背中に回った手が強くなる。


「本当、は、もっとっ、・・・もっといっぱいお話したかったっ、優しいあの人、と、一緒にいたかったっ__!」


ぎゅうぎゅうと胸元に顔を押し付けられる。


「俺の話__っ優しく聞いて、い、いつで、も、来てもいいって、微笑んで_っ、ほんとっ、のっ、母さんっみたい、でっ、姉さん、みたいでっ、もっと、お、おれ、の俺の名前、呼んで欲しかった___っ!!」


  じんわり冷たさを感じる胸元に、


      くしゃり大きく皺を作った装束に、


          必死で声をこらえる泣き声に、
 

              の肩に顔をうずめ、しゃくりあげるその姿に


「っ___」


   こちらまで涙が零れそうになって。

 きり丸の体に抱きつくことで自身も泣くのをこらえて。

縋っているのはきり丸のはずなのになんだか自身が縋り付いている様な錯覚に陥る。




その確かな温もりに、暖かな雫にそっと目を閉じてぼんやりとした頭で思う。


雅さんあなたはこの世界にこんなにも大きな傷跡を残したのです。

こんなにも大きな影響を与えたのです。

それは酷いものあったと同時に、とても優しいもので。

この世界に居るでは、知っていても口に出すことなどできなかったことで。

そんなことをこの世界に残していったあなたを、俺は、俺は__





ゆるり体に縋りついていた手はそっと緩まっていて。

ゆっくりと体を離せばすやすやと寝息を立てる子供。

目元は赤いけれどもどことなくすっきりとした顔つきで。

泣き疲れて眠るその姿はとてもとても愛しい。






それにつられるように自身もまどろみに引き込まれていった。











___少しだけ、好ましく思います___




















※※※
一番ショックが大きかった子供たちの中でも一等。
きり丸はやっぱり強がりで弱いのです。
ずっとあやふやな関係だったきり丸との関係。
ようやっと認められるようになりました。








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