ドリーム小説
記憶を辿って164 黒くて赤くて紅世界
「おい、潮江文次郎。顔かしやがれ。」
朝のまだ人の少ない時間。
いつも道理、時間に余裕を持って登校した俺の前に立ちはだかった一人の男。
そして言い放たれた言葉は、いらりとするもので。
「おい、無視してんじゃねえよ。」
かかわるのもうっとうしくて、視線を外して下足箱へと足を進めようとするが、それを遮るように再びそいつが俺の前に回ってきて。
「・・・んだよ、俺はお前に用はねえよ。」
会ったことも話したこともなければ、名前すら知らない。
そんな相手が突然俺の前に現れて、俺を呼ぶ意味がわからない。
それどころか、その顔を見て湧き上がる怒りの意味が、理解できない。
「まてってば、文次郎!」
じろり、睨みつけて、そうしてそのそばをすり抜けようとすれば、不意に腕を掴まれて。
「気安く呼んでんじゃねえよ。」
ぱしり、それを後ろ手に振り払って、足を進める。
「んだ、逃げんのかよ。」
ぽつり、呟かれた単語に瞬時、湧き上がる怒り。
振り向けば、そいつもこちらに向き直っていて。
にやり、上がった口角。
それが期待することに、気がつく。
「逃げるだ何だ、意味がわかんねえよ。俺はお前を知らねえし、お前に用もない。逃げる逃げない以前に、なぜ俺がお前に付き合わねばならんのだ。」
言葉を発することと同時に怒りを、鎮めるように息を吐く。
逃げる
その言葉だけでこんなにいらつくとは思わなかった。
だが、俺はまったくもって、こいつと話したいと思わない。
それどころか、怒りと共に存在するこの謎の感情が気持ち悪くて仕方がない。
「・・・文次郎、お前、つまんねえ奴になっちまったなあ。」
ぽつりとつぶやかれた言葉。
その小さな声が、抑揚のない声が、その言葉の重みを増させて。
「はあ?」
まるで俺のことを、ずっと昔から知ってるみたいなそのいい方。
この間の七松とよく似たそれ。
「意味わかんねえこといってんじゃねえよ。」
ああもう、この気持ち悪さをどうにかしたくて、かと言ってこいつの言うとおりにするのは癪で。
「意味がわかんねえ?・・・そうか、なら俺についてこいよ。」
癪、だというのに。
本能がそれが足りなければ生きていけないかのように脈打つ。
手を伸ばせば、届くかもしれないこの謎に。
今なら気がつけるかもしれないという、この感情。
「潮江先輩、ご一緒に、来ていただけますよね?」
後押しをしたのは、紫色と水色のネクタイ。
茶色がかった髪を持つ綺麗な顔立ちの少年。
後ろに隠れるのは、涙をこらえるようにぐっと口元を締めて俺を眼見してくる。
「お願いします。」
さらに聞こえてきた声は、聞いたことのある声で。
そこにいた少女は、泣きそうになりながらも昨日と同じ強い瞳をこちらに向けていた。
「用事があんだったらさっさと済ませろよ。」
結局、知らないとはいえ後輩に当たる人物三人に頭をさげられてはついていかないわけには行かなくて。
連れていかれた中庭。
木に背中を預けて俺を連れてきた張本人である男を睨む。
「はっ、偉そうに。」
「んだと?」
・・・さっきから思うが、なんでこいつはこんなにも偉そうで俺をいら立たせるのが際立ってうまいのだろうか。
「いい加減にしろ。文次郎」
「だから、人の名前を気安く呼んでんじゃねえよ。」
じろり、睨むが開いてはまったくもって答えた様子も見せず笑う。
「お前だって呼んでたろうが。」
「はっ、残念だったな。俺はお前の名前とか知らねえよ。」
「はあ?何だと?忘れるとかお前どんだけ。」
視線を外して、横を向いてまで笑うとはしぐさが細かい・・・というか、冗談抜きでムカついてきた。
「だから、俺はお前を知らねえって言ってんだろうが!!」
何度言っても、聞く気がないこいつに、とうとうこらえていたものが溢れだした。
「じゃあ、それはあいつらを見ても言えんのかよっ!!」
叫ばれて、指差された先。
そこには先ほど俺の名前を呼んだ水色と紫。
まっすぐに俺に向けられる視線。
それらは熱をはらみ、水気を帯びていて。
「潮江先輩」
紫が、困ったように笑う。
「潮江先輩っ、忘れちゃったんですか・・・?」
水色が、恐る恐る俺に手を伸ばす。
俺に触れそうになる手を、思わず振り払ってしまっていて。
水色が浮かべた表情に、どうしようもないくらいの罪悪感が、生まれて。
「っ、だんっ、」
思わず、その手をつかみ返して、口を突いて出てきそうになった言葉。
今のは、いったい、なんだ?
誰かの名前?
俺は知らないはずだろう?
今のは、なんだ?
自分の頭が、考えが、怖くなって、思わず、口元を手で覆う。
なんだこれは、なんだこれはっ!!
ぐるぐるぐるぐる
こみ上げる、吐き気にも近いもの。
つかんだその温もりが、じわり、自分の触れたところから穢れていくような錯覚。
思わず、自分でつかんだそれを再び振り払って。
ぶわりぶわり
夢の中のものであるはずのそれらが、廻る廻る
回る回る
黒い黒い世界
暗くて赤い世界
この手が生み出すのは紅
この手が奪うのは、人の___
「っ、いい加減にっ、して、く、れっ・・・!」
夢であってほしいとずっと願っていたそれが、夢ではないと、気がついたのはいつだっただろうか。
知らないうちに、この足は、気配の消し方を知っていて
学んだ覚えもないのに、この手は人体の急所を熟知していて
経験したことのないはずなのに、俺の頭は人のはかなさを世界の非情さを理解していて
そしてそんな俺の中には確かに
知らないはずの、こいつらを、懐かしいと感じる感情があった。
それでも、それを、知らないままでいたかった
あの世界で、俺がどうしても生きていきたかった理由を、見つけ出せるまでは
ぐらぐらぐらぐら
視界が回る。
目の前で心配そうに俺を覗き込む水色が、何かと、だぶる。
慌てて目を手で覆って、乱れそうになる呼吸を止めて。
そうすれば聴覚が、より一層敏感になって。
「潮江先輩、」
甘い甘い、女の子の声。
昨日、泣かせたばかりのその声は、それでも俺を心配する声色が含まれていて。
思わず開けた瞳。
水色の横にいつの間にか紫も来ていて、心配そうに俺を見ていた。
ゆっくりと、視線を動かせば、彼女が見えて。
赤く染まっていた、世界が、ゆっくりと色を落ち尽かさせていくような感覚。
「俺、は、」
世界が回る、廻る、視界が揺らぐ
立っていられないほどのそれに、思わずしゃがみこめば、慌てたように彼女が走り寄ってきて。
「潮江、先輩、」
昨日雫でいっぱいだったその瞳は、今は別の意味で揺らいでいて。
思わず、手を、伸ばして、
「っ、」
「俺は、これを、知ってもいいのか・・・?」
この温もりを、こいつらに向ける感情を、俺が、あの世界であんなにも生きていたかったその、理由を
ふわり、温かな手が、腕にかかった
その瞬間
「いつまでも、うじうじうじうっとうしい奴だな文次郎。」
べりり、その温もりが引き離されて、げしり、後ろから思い切り衝撃を受けて、俺はその場所に倒れ込んだ。
「っ、なんだ!?」
驚いて、思わず視線を動かせば、上からひやりとした空気。
黒い男にしては異様なほどに美しいその長髪を揺らして、ぞくりとする笑みをそいつは見せた。
「を泣かせておいて、そのに縋るとは。覚悟はいいな?文次郎。」
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