ドリーム小説





記憶を辿って83 滲む汗 














遠目に見たあの人は、ただ幸せそうに笑っていて。

幾度叫びたくなったろうか。




あなたはなぜあの人を忘れ得ることなどできたのですか?




あなたにとってもあの人は半身であったのでしょう?

忘れてあなたは幸せかもしれない

あの頃のあの真っ暗な闇色を忘れてしまえて。



それでも、あの人は、まだあなたを求めていて、

あの人はあの人は、まだ___



ずっと闇の中で生きている






ふわふわ、温かな笑み。

こちらの心を溶かすようなそれは、しかしの心に重くのしかかる。




小さく着信を告げる携帯電話。

向けていた視線を無理やり外し画面に目をやる。

そこには尾浜勘右衛門の文字。


「勘右衛門先輩・・・?」


連絡先を交換しても、連絡を取り合うのは初めてで。


「今どこ?」

「高等部と近くの中庭です。どうしました?」


そっと通話ボタンを押せば、端的に告げられる言葉。

どことなく焦ったようにも聞こえるそれにも端的に返事をする。


「ん、屋上に来てほしいな。」

「ええと、中等部、ですか??」


微かに声が震えて聞こえるのはどうしてだろうか。

ぐっと、何かをこらえるように響く声。


「違う、高等部。」

「わかりました、すぐ行きます。」

「うん、待ってる。」


声が、痛みを訴えるように、ただ、襲い来るそれを必死で防ぐように。


それは悲痛なまでにの胸に響く。



走り出した先、階段を三段飛ばしで駆けあがる。

踊り場に差し掛かったとき目の前に影。

慌てて方向転換をしようにも、勢いをつけたままのその体では止まることなど不可能で。

「っ、」

どん、という軽い衝撃と共に微かに後ろにのけぞる。

やばい、そう思った時にはもう遅く、重力に従い体は後ろへと重心を移していく。

目の前、ぶつかった誰かが驚いたように手を伸ばして、そしてすぐに感じた腕のぬくもり。

力強いそれに抱き寄せられるようにして、の足はようやっと地につく。

相手の懐に抱き寄せられるように支えられれば、いまさらながらに心臓が驚きを伝えて。

ばくばくとせわしなく動く胸に手をあててそうっと目の前の人物から距離をとる。


「っ、ごめんなさい、」


逆光で確かには見えない相手を見上げてあやまる。


「あ、りがとうございました。」


そうして今度はしっかりと頭を下げて礼の言葉。


目の前の相手からは答えがなく、ただゆっくりと無言での横をすれ違う。


「気をつけろ。」

すれ違う瞬間駆けられた言葉。

それに脳が指令を発するよりも先に言葉が漏れ出た。


「鉢屋三郎、先輩・・・?」


小さな小さな声で呟いたそれは、でも伝わった。

ゆっくりと振り向く彼は先ほどの少年とよく似た顔をしていて。


「誰?」


怪訝そうに眇められた目。

それはをしっかりと映し出した瞬間、嫌悪という名の表情へと姿を変えて。


「お前か。」


体中をぴりぴりとさす、痛み。

否、殺気。

それは一人に向けられたもの。


「勘右衛門にいらないことをいったのは、お前か。」


鋭い瞳はただただ憤りの色。

放たれる言葉は弾丸のように


いらないこと


面と向かって言われればすぐに折れそうになるの心。


ぐっ、と息をこらえるようにその瞳を見つめ返す。

孫兵の時とは全く違ったそれは、へと率直に意見を発していて。


一歩、近づく相手に体がすくみそうになる。

それをぐっとこらえる。

そっと伸ばされた手が、の喉元へとゆっくり近づく。

人差し指が、それがの喉仏の辺りに、触れる。


ぞくり


「っ、」


次の瞬間は本能のまま体を動かした。

その指が、掌が、一瞬での首をつかみ強く握ろうとしたのだ。


「へえ、動きはやいじゃん。」


くつり、と喉で微かに笑うそれはあの頃と寸分違わぬもので。

喉がからからに乾く感覚。

それは緊張から来るもので。

じわり滲む汗。


言葉を返せずにいれば、その鋭い眼がまっすぐを、射た。


「俺は今の状態でいい。余計なまねをして、雷蔵の記憶を思い出させたりしたら___」




三郎が姿を消した後、それでもは動けずにいた。


未だ闇の中で生きている彼に、どうしようもなくやるせない思いがこみ上げた。



「俺は今の状態でいい。余計なまねをして、雷蔵の記憶を思い出させたりしたら___

  
                           今度こそ、その首を力いっぱいつぶしてやる。」





喉に手をやり、滲む汗をぬぐった。



















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